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      <title>コラム</title>
      <link>http://thepolice.jp/column/</link>
      <description></description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2007</copyright>
      <lastBuildDate>Thu, 28 Jun 2007 11:26:35 +0900</lastBuildDate>
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         <title>「80年代には自分の表現者としての原点が常にある」</title>
         <description><![CDATA[<div class="spB30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/name_16.gif" width="275" height="21" alt="平間 至（フォトグラファー） " /></div>
<div><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c16_ttl01.gif" width="308" height="56" alt="『80年代には自分の表現者としての原点が常にある』" /></div>
<div class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c16_ttl02.gif" width="318" height="43" alt="高校の頃はビョーキの人がいちばん偉い（笑）。暗い人が勝ちです（笑）" /></div>

<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column16_main.jpg" width="270" height="180" /></span></p>

<h4>★平間さんの80年代は17歳から26歳くらいですけど、高校時代はどこに住んでいたんですか？</h4>
「住んでるところは宮城県の塩釜で、高校は仙台の高校に通ってました」<br />
<h4>★その頃は何にいちばん興味を持ってたんですか？</h4>
「高校はもうロックどっぷりですね。そこからノイズ系にいったり」<br />
<h4>★そうなんだ。ちなみにロックは中学時代から聴いてたんですか？</h4>
「そうですね。ただ最初はやっぱりFMをエアチェックしてビートルズの特集を録ったり。そういえば中学2年か3年のときに（セックス・）ピストルズが出てきたんですけど、で、中学のときって班に分かれるじゃないですか。そのグループ分けのときに、その班の名前を“セックス・ピストルズ”にしたんですよね（笑）」<br />
<h4>★ははははは！</h4>
「それで学校に波紋を投げかけ（笑）。セックス・ピストルズ班（笑）」<br />
<h4>★すごいなあ（笑）。</h4>
「で、そのあと高校生でパンクバンドやったときのバンド名は“セックス・ピストンズ”（笑）」</br>
<h4>★ははははは。その頃ってポリスも活躍してた頃ですよね。</h4>
「そうですね。だからピストルズ、ポリス、ザ・ジャムっていうのが3大パンクでしたね。で、僕は高校の時はザ・ジャムのコピーバンドやってましたよ。それで高校前半はパンクで始まるんですけど、そこからはかなり（当時かなりマニアックな音楽を扱っていた専門誌の）『フールズメイト』の影響が大きくて、いきなりアバンギャルド方向にどんどん行っちゃうんですよ」<br />
<h4>★なるほどね。強烈ですよね、この辺のカルチャーは。</h4>
「ほんとにまったく自分が経験したことない世界がここにあって、それでこういう（アングラな）世界にどんどんのめり込んでいくんですよね」<br />
<h4>★じゃあこの時代ってかなり濃そうですね。</h4>
「そうですね。高校の友達がわりとそういうのを聴いてて。ノイズでホワイトハウス（※英国ノイズ界を代表する存在）っていうユニットがいたんですけど、ほんとにもう、垂れ流しノイズなんですけど（笑）、それを延々に何時間でもヘッドホンで聴き続けられる友達がいて（笑）」<br />
<h4>★ははははは。</h4>
「さすがにそれには負けたなあ、みたいな（笑）」<br />
<h4>★勝ち負けありますよね（笑）。</h4>
「相当ありますね（笑）。あの頃はビョーキの人がいちばん偉い（笑）。暗い人が勝ちです（笑）」<br />
<h4>★ははははは。</h4>
「だから大学で東京に出てきていちばんショックだったのは、日大芸術学部の写真学科なんですけど、すごい期待して入ったら、誰もそういうノイズとか聴いてる人がいなくて、それで愕然とするんですよね」<br />
<h4>★ふーん。</h4>
「何だったんだろうって（笑）。だって田舎の少年の妄想の東京だと、田舎でそのくらいなんだから、もう東京行ったらどうなるんだろうって思ってたのに………別にフツーみたいな（笑）」<br />
<br />
<br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c16_ttl03.gif" width="318" height="67" alt="実はウチはもともとクラシック系の家で、僕は『ロックは音楽じゃない』って言われた最後の世代（笑）"  /></p>
<br />
<h4>★（笑）じゃあ高校時代は遊びっていうとバンドやったりとか？</h4>
「でも剣道部やっていたり、ジャズ・ブルース研究会っていうサークルを自分たちで作ったり---------ジャズもブルースも全然関係ないんですけど（笑）。ただ、実はウチはもともとクラシック系の家で、エレキ（ギター）を弾くのは不良っていう最終世代なんですよ、僕までが。だから『ロックは音楽じゃない』って言われた最後の世代（笑）。バンドもやってるけど、家にエレキを置けなくて。だから練習は友達の家でやったり、あとはウチにバイオリンがあったんで、そのチューニングをギターっぽくして、それで」<br />
<h4>★ほんと？（笑）。バイオリンということは本格的にクラシックをやってたんですか？</h4>
「うん、わりとちっちゃい頃からバイオリンとチェロを。そういえば高校の頃オーケストラもやってたなあ」<br />
<h4>★へえー。お家は何かやってたんですか？</h4>
「ウチは塩釜ではいちばん大きな写真館で、元々ウチの祖父の代から始めてるんですけど、おじいちゃんもバイオリン弾いてて、いわゆるハイカラ世代。当時、明治生まれで写真やってること自体あんまりなかったことですよね。だから祖父の代から写真と音楽が大好きな家系っていう」<br />
<h4>★じゃあ、ほんとにいきなりロックに走るっていうのは突然変異だったんですね（笑）。</h4>
「まあ、反抗だったんでしょうね」<br />
<h4>★家族の反応はどうだったんですか？</h4>
「もう、眉をしかめるっていう。聴いちゃダメに近い。だからこっそり聴くっていう。でもそれもまたよかったんじゃないですかね、こっそり聴くっていうのが。ロックは僕にとってイケナイ音楽ですから（笑）」<br />
<h4>★（笑）。</h4>
「でも学校のバンドはザ・ジャムのコピーバンドで文化祭に向けてやっていて、あと他の学校の友達ともやっていて、それはそのセックス・ピストンズがシリンダーズになるんですけど（笑）」<br />
<h4>★ははははは。それはどんな感じのバンドなんですか？</h4>
「こっちはオリジナル。パンクで、社会風刺を一生懸命やって。『♪何でもマネしろマネをしろ、♪流行に乗り遅れるなよ、♪Do The Monkey、♪Do The Monkey』って」<br />
<h4>★ははははは！</h4>
「ちょっとインテリ高校生が考える社会風刺みたいな」<br />
<h4>★じゃあライヴハウスでやったりとか？</h4>
「ハウンドドッグがトリで、いちばん最初くらいにシリンダーズがやるとか」<br />
<h4>★へえー、すごいじゃないですか。じゃあその頃いちばんなりたかったのはミュージシャンっていう？</h4>
「そうですね。でも家が写真館やってたんで、大学進学でもした後に漠然と継ごうかなあって思ってたんですけど---------でも現役のときに全部落っこっちゃって、で浪人中に今度は麻雀にはまるんですよ」<br />
<h4>★ははははは。</h4>
「パチンコ屋に並ぶっていうのはあると思うんですけど、なぜか雀荘に開店前から並ぶっていう。まったく意味ないんですけど」<br />
<h4>★ははははは。</h4>
「僕、理系だったんですけど、それで成績がガタガタになっちゃって、それで日芸だったらみんな納得してくれるかなって方針を変えて、それで入っちゃったんですよね」<br />
<br />
<br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c16_ttl04.gif" width="318" height="67" alt="あ、あとアイビーにも凝ってたんですよ。学校でいちばん最初にペニーローファーを履いてたのは僕なんです（笑）"  /></p>
<br />
<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column16_main2.jpg" width="270" height="180" /></span></p>
<h4>★でも平間さんって、剣道部にオーケストラにバンドにって、高校時代はいろんなことやってたんですね。</h4>
「だからいろんなことやってるんで、自分で話しててもイメージ沸かないというか---------いまでもそうなんですけど、自分の友達っていうのは、ノイズはノイズの友達、剣道部は剣道部の友達っていう感じで、ヨコのつながりが今も昔もあんまりないんですよね」<br />
<h4>★でもそれだけ間口が広いんですよね。</h4>
「間口が広いのか、どっかが分裂してるのか、よくわかんないんだけども（笑）。なんか不思議なんですよね、しゃべってても、実際どういう生活してたかっていうのが---------剣道やってオーケストラやって、パンクやって何やってって、人物像が自分でも想像つかないっていうか---------あ、あとアイビーにも凝ってたんですよ。高校時代、アイビー少年で。学校でいちばん最初にペニーローファーを履いてたのは僕なんですよ（笑）」<br />
<h4>★ははははは！</h4>
「なんか、ますますわかんなくなっちゃうね（笑）。でもリーガルは憧れでしたよ。ボタンダウンはブルックス・ブラザースじゃないとダメだみたいな。だからメンクラ（※雑誌『メンズクラブ』）とか読んでるんですよね---------もう謎ですよ（笑）」<br />
<h4>★（笑）。</h4>
「でもどれも本気なんですよね、自分としては」<br />
<h4>★大学入ってからはその辺どうなったんですか？</h4>
「大学入って、期待してたらほんとに何もなくて、それで飲み会に明け暮れるんですよね。もう期待してたことはあきらめて、毎日お酒を飲んで暴れるわけですよ。その切り替えはわりと早かった（笑）」<br />
<h4>★（笑）その大学生時代が83年から87年で、それで写真の世界に入るんですか？</h4>
「最初（大手の撮影プロダクションに）就職をして、その年の秋に辞めてニューヨークに写真の勉強をしに行って、翌年から（カメラマン伊島薫の）アシスタントとして3年間修行時代的な感じなので---------ということは、アシスタントが終わって80年代が終わるってことなのかな？なるほど！いま初めてわかった（笑）」<br />
<h4>★じゃあ90年代からフリーランスのカメラマン時代がスタートなんですね。</h4>
「そうなんですよ。ちょうど渋谷系とばっちりシンクロして『ロッキング・オンJAPAN』とかで撮り始めて---------ヴィジュアルと音楽とサブカル的なものが一緒になって、ぐっとまわり始めるんですよね」<br />
<br />
<br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c16_ttl05.gif" width="318" height="43" alt="やっぱりこれからのテーマは“かっこ悪くて不便”ですよ（笑）"  /></p>
<br />
<h4>★じゃあ、いま振り返ってみると、平間さんの80年代ってどんな時代だったんですかね？</h4>
「やっぱり自分の中で80年代って、表現者としての原点が常にあるんですよね。それに、いまそこに気持ちを戻そう戻そうってところが自分の中にあるんじゃないかなあ」<br />
<h4>★それって、いまのテクノロジーに引っ張られすぎたところとうまくバランス取ろうとしてるんですかね。</h4>
「あきらかに自分の気持ちは古いものとか歴史のあるものに向かってるっていうのがわかりますよね。僕なんかどんどん原点回帰で、カメラもレンズもどんどんどんどん遡ってるんですよ。どんどん古いカメラ、古いレンズ。デジカメは基本的に使ってない。だから世の中デジカメで便利になった分、自分の気持ちは逆に向かってるんですよね」<br />
<h4>★なるほどね。</h4>
「機材の進歩って結局経済のためなのかってすごく感じますよね。車でも携帯でもなんでも、基本的なのものがあったら用は足りるんですよね。それを毎年毎年マイナーチェンジして新製品を出して。それって経済のためだけなんじゃないですか？」<br />
<h4>★最近急速にそうなってますね。</h4>
「簡単だったり便利だったりするって、楽しくないんですよね、単純に。だからメールもこれからはモールス信号にするとかいいんじゃないですかね（笑）」<br />
<h4>★それはまた、ものすごい一方通行ですね（笑）。</h4>
「ははははは。絶対楽しいと思いますよ（笑）。あと狼煙（のろし）（笑）。狼煙あがってるところでパーティーでもやってたら、すごく行きたくなるよね（笑）」<br />
<h4>★ははははは。</h4>
「これからテーマは不便なことですよ（笑）。生きる喜びは不便から（笑）」<br />
<h4>★そうえいばロハスとかも不便ですよね。</h4>
「いや、それじゃあなんか、かっこいいもん（笑）。80年代ってかっこ悪くなかった？」<br />
<h4>★かっこ悪かった（笑）。</h4>
「やっぱりこれからのテーマは“かっこ悪くて不便”ですよ（笑）」<br />
<br />
<br />
<p align="left">■<strong>80’s お宝紹介</strong><br /><br />
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column16_otakara01.jpg" alt="" width="200" height="133" hspace="5" vspace="5" align="right" />いまだに捨てられなくて残っている当時のカセットテープです。これは好きだった仙台のバンド「責任転嫁」のライヴを録音したテープ（笑）。あと、エコバニ（エコー＆ザ・バニーメン）にニューオーダーのもありますね。これは原マスミのライヴ！けっこう持ち込んで録ってますね（笑）。管理が悪すぎて、整理整頓ができないせいで、逆に物持ちがいいんですよ（笑）。<br /><br /></p>
<p>
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column16_otakara02.jpg" alt="" width="200" height="133" hspace="5" vspace="5" align="left" />あとこれはスロッビング・グリッスルのアルバム。ジャケットとは裏腹に、音はドロンドロンのノイズですよ。80年代のビジュアルとして象徴的な一枚です。<br />
<br />
<br />
<br />
インタビュー：井村純平（TOKIO DROME/WISDOM)<br />
写真：松下茂樹<br /></p>
<br style="clear:both;" />]]></description>
         <link>http://thepolice.jp/column/2007/06/80_10.html</link>
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         <pubDate>Thu, 28 Jun 2007 11:26:35 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「80年代からやってることって基本的に変わってないんだよね（笑）」</title>
         <description><![CDATA[<div class="spB30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/name_15.gif" width="275" height="21" alt="瀧見 憲司 " /></div>
<div><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c15_ttl01.gif" width="328" height="60" alt="『80年代からやってることって基本的に変わってないんだよね（笑）" /></div>

<div class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c15_ttl02.gif" width="349" height="45" alt="初めて買った輸入盤は覚えてる。それはバウハウスの『テレグラム・サム』なんだよね" /></div>

<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column15_main.jpg" width="270" height="180" /></span></p>

<h4>★瀧見さんは66年生まれですけど、生まれ育ちは東京ですか？</h4>
「うん、八王子。中学も高校も八王子の公立の学校」<br />
<h4>★80年が中2くらいですけど、もう音楽はいろいろ聴いてたんですか？</h4>
「意識的に聴き出したのは、たぶん中学生くらいじゃないかな。スタートとしては普通にラジオをエアチェックしてハードロックやフュージョンを聴いて。あとドナルド・フェイゲン（※米国のバンド、スティーリー・ダンの中心人物）みたいなAOR（※アダルト・オリエンテッド・ロック）とか。当時レコード買ったので覚えてるのがスペクトラム（※日本のブラスの精鋭たちが集まったバンド）と、渡辺香津美（※ジャズシーンを代表するギタリスト）と、ナベサダ（渡辺貞夫／※ジャズサックスプレーヤー）とか（笑）、なぜかそんな感じ（笑）」<br />
<h4>★へえー、そっち系を聴いてたんだ。遊び場としては地元が多かったんですか？</h4>
「いや、高校生になってから都内に遊びに行くようになって---------下北沢とか新宿とか。だから輸入盤レコードを買うようになったのも高校入ってからじゃないかな。バイトし始めてからだから。あと高円寺にBOYっていう（音楽雑誌の）『DOLL』がやってたロック喫茶があって、そこでビデオ上映会やってて、そこにけっこう行ってたな」<br />
<h4>★ビデオ上映会ってありましたねえ（笑）。</h4>
「当時はそれしか（海外アーティストのムービーを）観れなかったからね。あと渋谷のセンター街にもビデオ上映会をする場所があって、そこにもよく観に行ったの覚えてるな。そこでバウハウス（※ゴシックの元祖ともいえるポスト・パンクバンド）とかキリング・ジョーク（※インダストリアルの先駆的存在のポスト・パンクバンド）が動いてるのを初めて観たっていう（笑）」<br />
<h4>★でもそういうニューウェイヴ系の音に行ったのはなにかきっかけがあったんですか？</h4>
「いや、いついきなり移行したのかあんまり覚えてないんだけど、でも普通にジャパンとかバウハウスとか聴いてたんだよね。もしかしたら音からじゃないかもしれない。レコード屋で見た写真から入っていったのかもしれない。でも初めて買った輸入盤は覚えてる。それはバウハウスの『テレグラム・サム』（※T-REXのカバー）なんだよね」</br>
<h4>★あ、そうなんだ。</h4>
「33回転で聴いてて、ああ、こういうものなのかなあって思ってて、でも実は45回転だったっていう（笑）」<br />
<h4>★わははははは！（一同爆笑）</h4>
「しばらくそれで聴いてた（笑）」<br />
<h4>★レコードならではですねえ（笑）。</h4>
「そうそう（笑）。そういう感覚がいまも生きてるんだけど（笑）」<br />
<h4>★じゃあ高校生になってひたすらレコードに向かっていったという？</h4>
「もう完全にそう。バイトした金で全部レコード買ってたよね。高校の時はほんと西新宿と下北のレコード屋ばっかり行ってた。でも当時、輸入盤（の12インチシングル）って一枚1350円したから、月に何枚買えるかっていうのは深刻な問題でさ（笑）。しかも試聴とかできないから、失敗したのもすごいあるけど」<br />
<h4>★失敗すると、もう愕然としちゃいますよね（笑）。</h4>
「愕然とするんだけど、必死になっていいところを聴こうとするから、それはそれでいいわけよ（笑）。いいと思い込んで聴くっていうのもあったからね（笑）」<br />
<br />
<br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c15_ttl03.gif" width="349" height="45" alt="80年代は音楽からいろんな文化に拡がっていけたっていうが、すごいでかかったと思う"  /></p>
<br />
<h4>★日本のインディーズバンドをライヴハウスに観にいったりはしなかったんですか？</h4>
「それは高校出てからかな。仕事で行くようになったり」<br />
<h4>★仕事？いや、実はいちばん瀧見さんに聞きたかった話ってそれと関係してくるのかもしれないけど、いったい何歳の頃から（当時かなりマニアックな音楽を扱っていた専門誌の）『フールズメイト』で文章書き始めたんですか？</h4>
「18歳（笑）」<br />
<h4>★え、ほんとに!?（笑）。それは洋楽をいろいろ聴いてた流れで？</h4>
「そう。高3のとき、フールズメイトでよくあるボランティア募集みたいな記事をみつけて、電話して普通に行ってみたんだよ。で、高校出てからオレ浪人してるんだけど、その浪人してるときにそのまま編集部に入らないかって言われて入っちゃったっていう」<br />
<h4>★すごいなあ。だって僕、かなり若い頃から雑誌で瀧見さんの名前よく見かけてて、すごい文章書くなあって思ってたのに、歳聞いたら同じくらいだし、いったいどういうこと？って（笑）。</h4>
「普通、10歳くらい上だと思うよね（笑）」<br />
<h4>★フールズメイトは何年くらいやってたんですか？</h4>
「だから普通の人が大学生になるときにフールズメイト編集部に入って、普通の人が大学を卒業するときに辞めて（笑）。ちょうど4年間（笑）。85年から89年かな？」<br />
<h4>★じゃあ瀧見さんの80年代って、高校3年間の西新宿・下北のレコード屋通いと、その後のフールズメイトとのかかわりあいっていうがすごい大きいんですね。</h4>
「かなりそこで人格形成されちゃってるねえ。ていうか10代後半から20代前半のそういう時期にたまたま80年代があたったっていう」<br />
<h4>★でもそれにしてもいろいろあった時代ですよね。</h4>
「相当いっぱいあった。映画でもほんとにいいものいっぱいあったしね。あと音楽からいろんな文化に拡がっていけたっていうは、すごいでかかったと思う。だから（ポジティヴパンク／ゴシックバンドとして名を馳せたバンドの）セックス・ギャング・チルドレンとかデス・カルトのジャケットから、（写真家の）ダイアン・アーバスに行ったりもしたし」<br />
<h4>★なるほどね。</h4>
「いまは音楽は音楽だけって感じがしちゃってるけど。あの時は（好きなアーティストに関連することは）自分で調べようと思ったし。よくインターネットもないのに高校生で調べてたと思うけど（笑）。で、映画とかビデオ上映やるときにはわざわざ行ったりして、雑誌もジャケットもほんと隅々まで読むっていう。とにかく読み取ろうってしてたよね」<br />
<h4>★そうですよね。</h4>
「あと80年代ってポストモダン文化とかの流れもあって、浅田彰さんの本を読んで、よくわかんないんだけど、わかったふりして読んでおく、みたいな（笑）」<br />
<h4>★ははははは。</h4>
「そういう感じだよね（笑）。わかんないんだけど、何か伝わるものがあるっていう（笑）」<br />
<h4>★（笑）。</h4>
「でも、はったり効いてるんだけど、ちゃんとバックグラウンドもあるっていう。だっていきなり（アインシュテュルツェンデ・）ノイバウテン（※ドイツの実験的バンド。当時のインダストリアル・ミュージックやノイズ・ミュージックの代表的存在）とか来日して、あれ観て何がなんだかわかんないけどかっこいいって思った人って絶対いたと思うもん（笑）」<br />
<br />
<br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c15_ttl04.gif" width="349" height="68" alt="80年代ってその時に出てるものがいちばん最高っていう価値観だったじゃん？ちょっとでも古いものはダサいっていうか"  /></p>
<br />
<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column15_main2.jpg" width="270" height="180" /></span></p>
<h4>★ちなみに（瀧見さんが主宰するレーベルの）クルーエルを立ち上げたのはいつなんですか？</h4>
「25歳か26歳くらい。91年頃。22歳で（フールズメイトを）辞めてから3年間くらいフリーライターをしてた時期があってさ。あと辞める直前くらいから（下北沢にあったクラブ）ZOOでDJを始めてるんだよね」<br />
<h4>★あ、そうなんだ。それってまだ80年代の終わりですよね。</h4>
「89年くらい」<br />
<h4>★ダンスミュージックが出て来たりして、また音楽の聴き方が変わり始めるも頃ですよね。</h4>
「そうだね。CD時代との境目で、そうすると再発されていく旧譜を新譜として聴くっていうかさ。新譜として中古を聴くっていうのが88年くらいにあったんじゃない？でもそれまでの80年代ってその時に出てるものがいちばん最高っていう価値観だったじゃん？ちょっとでも古いものはダサいっていうかさ。だから昔にいい音楽があって、それに影響を受けたやつがいま音楽をやってるっていうのが、まだ子供だったからわかんなかったからさ。当時ピンクフロイドとかローリング・ストーンズなんて全然良さがわかんなかったもん」<br />
<h4>★僕もそうでしたね。当時はビートルズも全然わからなかったし。</h4>
「たしかにビートルズもクソって感じだったよね、80年代的には。だったら新譜聴くわって感じで。ただ、フールズメイト編集部で年上の人に過去の音源をいろいろ聴かせられて、当時はよくわかんなかったけどそれがいま生きてるというか、後から思うとそれはよかったかなって」<br />
<h4>★なるほどね。</h4>
「ただ高校時代もそうだけど、ニューウェイヴも聴いてるけど、一方でドナルド・フェイゲン流れのAORとかコンサバっぽいのも聴いててさ。あとカフェバー文化があったり。そこら辺は自分の中でうまく分けて遊んでる感じがあって、自分的には両方並列してあったって感じだなんだよね」<br />
<h4>★それは無理なく？</h4>
「全然無理なく。それが（主宰しているレーベル、クルーエルのレーベルカラーも含めて）そのままずっと来ちゃってるって感じだよね」<br />
<h4>★なるほどね。たしかにクルーエルって、ただマニアックなわけでもなければ、逆に、洗練されてるんだけど変態っぽさもしっかりあるというか（笑）、おもしろいレーベルカラーもってますよね。</h4>
「だから80年代からやってることって基本的に変わってないんだよね（笑）。金があったらレコード買って（笑）。ただ紹介する手段が変わっただけで」<br />
<br />
<br />
<br />
<p align="left">■<strong>80’s お宝紹介</strong><br /><br />
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column15_otakara02.jpg" alt="" width="200" height="133" hspace="5" vspace="5" align="right" />
　「86年にフールズメイトでサイキックTVを呼んで、中野公会堂でライヴやったときに（当時ハナタラシ、現ボアダムズの山塚）アイちゃんの爆弾事件っていうのがあって（※前座の予定のハナタラシが会場に爆弾を持ち込みライブを中止にした伝説の事件）。この人はほんとにもう何なんだろうっていう（笑）」
「そんときオレは受付でチケットのもぎりとかやってるわけよ（笑）。『爆弾だよバクダン！』『えー!!』みたいに騒然となって（笑）、スタッフはみんな真っ青になっててさ（笑）。『あの人が山塚アイさんだ！』みたいになって（笑）」<br></p>
<p>
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column15_otakara01.jpg" alt="" width="200" height="133" hspace="5" vspace="5" align="left" />
「で、これはその時の思い出の品。サイキックTVのジェネシス・P・オーリッジからもらったTシャツ（笑）。あと全員のサイン入りレコード。音は人力ハウスミュージック。サイキックTVって昔から今で言うハウスっぽいことやってて、でも当時は（時代に対して早すぎて）ハウスってまったくわかんなかったし、そういうふうに聴いてなかったけど、後から聴くとなるほどってすごいわかる。
<br />
<br />
<br />
インタビュー：井村純平（TOKIO DROME/WISDOM)<br />
<!--写真：松下茂樹<br />--></p>
<br style="clear:both;" />]]></description>
         <link>http://thepolice.jp/column/2007/06/80_9.html</link>
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         <pubDate>Thu, 14 Jun 2007 12:55:09 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「パンクとニューウェイヴと日本のインディーズバンド---------僕の場合80年代ってそこがベースですね」</title>
         <description><![CDATA[<div class="spB30"><h1><img src="http://thepolice.jp/column/img/name_14.gif" width="275" height="21" alt="井上 薫 （DJ）" /></h1></div>
<div><h2><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c14_ttl01.gif" width="397" height="76" alt="『パンクとニューウェイヴと日本のインディーズバンド---------僕の場合80年代ってそこがベースですね』" /></h2></div>

<div class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c14_ttl02.gif" width="386" height="67" alt="中学卒業する直前くらいにザ・ジャムの『The Gift』をラジオで聴いたのがパンク / ニューウェイヴに行くきっかけですね" /></div>

<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column14_main.jpg" width="270" height="180" /></span></p>

<h4>★薫さんは80年で13歳だから中1とか中2ですけど、中学生のときから音楽はいろいろ聴いてたんですか？</h4>
「そうですね、地元が神奈川なんで、MTVのはしりみたいな（TVK＜テレビ神奈川＞で放送していた）『ファントマ』（※『ファンキートマト』）って音楽番組があって、それでけっこういろいろ観てたんですけど、入り口はYMOからですね。そこから、ものすごいハマリ始めて」<br />
<h4>★へえー、YMOなんだ。</h4>
「当時やっぱり流行ってましたから。ただ中学の時は普通にハードロックみたいなのも好きで、それこそ武道館にライヴを観に行ったりとかしてましたね。あと、これよく覚えてるんですけど、中学卒業する直前くらいに、坂本龍一がやってたFMラジオ番組を聴いてたんですけど、それで『ザ・ジャムっていうバンドの新作が出たから今日はそこからいっぱいかけます』みたいな感じでかけてて、でも坂本龍一本人は『これはつまんない音楽ですねえ』『何がいいのかさっぱりわからない』とかずーっと言いながらかけてるんですよ（笑）」<br />
<h4>★へえー（笑）。</h4>
「でも僕はそれに反応して、異様にかっこいいって思って。そこからですね、パンクとか、ちょっとメジャーではない、アングラ感のある音楽が好きになったのは」<br />
<h4>★中3ってことは、82年？じゃあラストアルバムの『The Gift』かな？</h4>
「あ、それです。それがパンク / ニューウェイヴに行くきっかけですね。それまでそういう音を聴いたことがなかったから」<br />
<h4>★じゃあ、そこから高校に入って本格的に音楽を聴き始めるという。</h4>
「そうですね。ザ・ジャムがきっかけでセックス・ピストルズとかパンクロックを（遡って）聴いたり、パンクムーヴメント以降のいろんな枝分かれしていくところを、すごくおもしろがって聴いてた感じですね、いま思うと。あと中学時代からギターをやってたんで、引き続き速弾きってわけじゃないけど、ハードロック的なギターテクニックを追求したりとか。そういうのを並行して体験してた感じですね」</br>
<h4>★じゃあ高校ではバンドもやってたんですか？</h4>
「同じような好みを持った友達が集まってバンドやってみようよってやり始めて。で、その内に、高校2年くらいかな？同じクラスにハードコア・パンクの、ものすごくテンポの速いバンドのヴォーカリストがいて、そのバンドはオリジナルの曲をやってて、横浜のライヴハウスに月に一回出てるようなバンドだったんですけど。で、ギターのやつが抜けた時に、ちょうど僕はパンク的なバンドをやってて、『お前、ギター弾けるんならこっちやってみない？』って。それでいきなりそのハードコア・パンクな世界に放り込まれたんですよ（笑）」</br>
<br />
<br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c14_ttl03.gif" width="386" height="67" alt="自分の身体をカミソリで切りながら歌ってるヤツが居たりとか（笑）。でもカッコイイみたいに思ったり（笑）、まだ若いから"  /></p>
<br />
<h4>★バンドで言うとガーゼ、ギズム、エクスキュートとかその辺の過激なシーンですか？</h4>
「そうそう。あの時ってそういうハードコアのバンドが急に出始めたときで、なんかうごめいてたというか。それで一年くらいやってましたよ。横浜に“ジーンジニー”っていう小さいライヴハウスがあって、そこ（で企画されていたハードコア・パンクのライヴイベント）に月一回くらい出たり。そこには凶暴な人たちが集まっていて（笑）、自分の身体をカミソリで切りながら歌ってるヤツが居たりとか（笑）」<br />
<h4>★〔笑〕。</h4>
「何やってんの!?、この人たちみたいな（笑）。凄まじかったですね。でもカッコイイみたいに思ったり（笑）、まだ若いから。好んで聴く音楽ではなかったんだけど、なんか興味本位でやってましたね」<br />
<h4>★それってハードコア・パンクをやりながらも、何か違うなって思ってたっていう？</h4>
「いや、でもね、ギターをそういう（凄まじい）現場で、ものすごい速いテンポ感の中で、ほとんどノイズみたいな音にして出すっていうことに関しては、おもしろさ感じてましたね」<br />
<h4>★だってあそこまで音によって緊迫感というかスリリングさを出すって、他の音楽にはなかったですもんね？</h4>
「そうですよね。それこそアドレナリン大噴出っていう（笑）。あと恐いもの見たさっていうのもありましたよ。すごく暴力的な何かが（そのシーンに）漂ってて。『観に行ってみたいけど、これはちょっとヤバいよねえ』みたいな（笑）。それで日本のバンドに興味を持ち始めて、ハードコアに限らずよくライヴは観に行ってましたね」<br />
<h4>★じゃあ高2高3くらいは、当時の日本のアンダーグラウンドなパンクムーヴメントの中にいたんですね？</h4>
「そうですね。そのハードコア・パンクのバンドは高3で辞めちゃうんですけど、その後もポジティヴ・パンク/ゴスみたいなシーンに行ってましたね」<br />
<h4>★オート・モッドとかサディ・サッズとか？</h4>
「そうそうそう。最終的にそっち方面がものすごく好きになって、結局高校出て二十歳になるくらいまではよく観に行ってましたね。自分のファッションも若干そうなってきたりして（笑）」<br />
<h4>★だんだん黒っぽくなってくみたいな（笑）。ちなみにハードコアやってるときの髪型ってどんなでしたか？</h4>
「髪はね、なんか横側を剃って、上（の髪）は立てると長いんですけど、それを普段は下ろしてるっていう、そんな感じだったんですけど（笑）。でもライヴのときは思いっきりおっ立てて（笑）」<br />
<h4>★はははは。やっぱりみんなやっちゃってるなあ（笑）。ちなみに高校の時って薫さん自身は荒れてたりしたんですか？（笑）。</h4>
「いや、暴力的な人間ではなかったですけど、なんかその、ネクラ/ネアカみたいな世界の区分の仕方があったじゃないですか、80年代って。で、その暗さも見つめるみたいなところが自分にもあって---------なんか若いのに妙に退廃的な絶望感に浸ったり。みたいなところあったのかな」<br />
<h4>★なんかわかりますね、その感覚。じゃあハードコア・パンクによって音楽の扉やカルチャーの扉が自分の中で開いたという？</h4>
「そうですね、どっちもですね。だからクラブカルチャーに出会ったのって、ほんとに80年代の末期ですよ。88〜89年くらいかな？」<br />
<br />
<br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c14_ttl04.gif" width="386" height="67" alt="4ビートで速いジャズかけて、ロンドンから来たダンサーがめちゃめちゃアクロバティックなダンスを踊って、それがほんとにカッコよくって"  /></p>
<br />
<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column14_main2.jpg" width="270" height="180" /></span></p><br />
<h4>★クラブカルチャーっていうと？</h4>
「（桑原茂一さんが主宰していた）クラブキングが、当時、川崎のクラブチッタを借りてウェアハウス・パーティーをやってたんですけど、友達づてでそのイベントのアルバイトにたまたま誘われて、それでまたいきなりそういう現場に放り込まれたんですよね」<br />
<h4>★へえー、どんなでした？</h4>
「当時はジャズで踊るっていうのをクラブキングの人たちは積極的に日本に紹介しようとしてたんですけど、それはまた見たこともない世界観で、もっとスタイリッシュでカッコイイっていう」<br />
<h4>★アシッドジャズとかですか？。</h4>
「そうです。だからパーティーはロンドンからバンドを呼んだりとか、ジャズダンサーを呼んだりとか、あとは日本人のいろんなDJが出て一晩パーティーをやるとか---------DJイベント的なものの走りなんじゃないかな？そこでかかってる音楽はレアグルーヴ的なものだったり、ラテンだったり、まあいろいろでしたよ。それでほんとにすごい時って、それこそ4ビートで速いジャズとかかけて、そこでロンドンから来たダンサーがめちゃめちゃアクロバティックなダンスを踊って、それがほんとにカッコよくって」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「ちょうどその頃ってSoul II Soul（※89年発表のSG“キープ・オン・ムーヴィン”でブレイクしたJazzie Bを中心とした“グランド・ビート”プロジェクト）が好きになったり。だから大雑把なイメージとしては、Soul II Soulとアシッドジャズ辺りの音楽が（クラブミュージックの）入り口ですね」<br />
<h4>★ちなみにレコードジャンキーになり始めるのは90年代に入ってからですか？</h4>
「そうですね、DJカルチャーに興味を持ち始めるようになってからですね。DJ始めたのは24歳くらいかな？ただ実は大学出てから僕、レコード屋で働いてたんですよ、六本木のWAVE（※良質かつマニアックな品揃えで当時のカルチャーをリードしていた輸入盤レコードを扱う大型店）なんですけど」<br />
<h4>★あ、そうなんだ!?</h4>
「そこでワールドミュージック・コーナーのバイヤーをやってたんですよ」<br />
<h4>★じゃあ音楽的にいちばん最先端を扱ってたんじゃないですか（笑）。</h4>
「あと20代はインドネシアにしょっちゅう行って、バリとかジャワのガムランの世界にものすごく惹かれたり」<br />
<h4>★それでいまの薫さんのDJスタイルや音楽性って、エスニックだったり落ち着いた世界観を持ってるんですね。</h4>
「でも80年代っていうと、僕の場合はパンクとニューウェイヴと日本のインディーズバンドと、ほとんど記憶に刻み込まれてる音楽体験って、そこがベースですね」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「ただここ何年かDJミュージックの世界でも80'sリバイバル・ブームってあるじゃないですか。そういうところでもてはやされてるエレポップみたいなのは、全然興味ないですね」<br />
<h4>★あ、そうなんだ。</h4>
「だから結局僕は80年代の何を見てたんですかね？結局ゴシックみたいな世界観をもった、あの芝居性というか非日常感とかを求めてたんですかね」<br />
<h4>★メジャーでもアンダーグラウンドでも現代アートでも、とにかくいろいろ実験的な試みがありましたからね。</h4>
「いろいろあって、しかもそれがちゃんと受け入れられるシーンもあったし、評価軸みたいなものもあったし。いま考えると、80年代通じてですけど、物が溢れかえる前夜みたいな雰囲気というか、文化的な楽しさが無限にあるんじゃないかって雰囲気が漂ってたし、実際に何か底なしなんじゃないかくらいなイメージもあったし、やっぱりおもしろい時代だったんだなって」<br />
<br /><br /><br />
<p align="left">■<strong>80’s お宝紹介</strong><br /><br />
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column14_otakara.jpg" alt="" width="200" height="277" hspace="5" vspace="5" align="right" />
　RIP,RIG & PANICのベスト盤『Knee Deep in Hits』と、23SKIDOOのアルバム『Urban Gamelan』です。自分の中の80年代のポスト・パンク的イメージが凝縮されている2枚のCDですね。<br />
　23 SKIDOOはイギリスのバンドなんだけど、メンバーに中国人系マレーシア人が二人いて、ドラム缶とか廃材でガムランやってるんですよ。ほんとパンク以降って何でもありだったんだなあって---------
アイデアがあれば、別に楽器の技術とかなくても全然出来た時代で、そこがすごくおもしろかったんだなって思いますね。
<br clear="all">
<br />
<br />
<br />
インタビュー：井村純平（TOKIO DROME/WISDOM)<br />
<!--写真：松下茂樹<br />--></p>
<br style="clear:both;" />]]></description>
         <link>http://thepolice.jp/column/2007/05/80_8.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">014</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 31 May 2007 13:23:33 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「80年代に世界にアピールした日本人のあたらしい意識、ポップスタイル」</title>
         <description><![CDATA[<div class="spB30"><h1><img src="http://thepolice.jp/column/img/name_13.gif" width="300" height="21" alt="立花ハジメ（ミュージシャン/アーティスト） " /></h1></div>
<div><h2><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c13_ttl01.gif" width="357" height="57" alt="『80年代に世界にアピールした日本人のあたらしい意識、ポップスタイル』" /></h2></div>

<div class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c13_ttl02.gif" width="325" height="66" alt="海外でレコードを出す、そのレコードを売るためにあっちで生活してツアーするっていう、それはプラスチックスしかやってない" /></div>

<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column13_main.jpg" width="270" height="180" /></span></p>

<h4>★プラスチックスは80年にメジャーデビューしてますけど、当時メジャーデビューするのってかなり大変なことでしたよね？</h4>
「そうだね。だからもうロックというよりは、歌謡曲の扱い？　ちょっと普通のレコード会社から出そうとすると、『夜のヒットスタジオ』（※テレビ音楽番組）に出るとか出ないとか、すぐそういう話になるから」<br />
<h4>★（笑）。</h4>
「やっぱり芸能色が強かったかなあ。じゃなかったらものすごいマイナーとかアングラでやるか。新宿とか下北とか高円寺とかのすごい小っちゃなライヴハウスでやり続けるか。もっと中間があってもいいんだけどね。まあ、いまでは笑い話みたいな時代（笑）」<br />
<h4>★（笑）でもこの頃プラスチックスは、かなり海外でも活動してましたよね？</h4>
「うん………外国の方が活動のメインになっちゃったよね。あっちでレコードを出す、そのレコードを売るためにあっちで生活してツアーするっていう、それはプラスチックスしかやってない」<br />
<h4>★そうですよね。</h4>
「別に日本はどうでもいいやってつもりは一切なかったんだけども、ただ当時は日本とあっちとの落差がすごいあったからね」<br />
<h4>★はい。</h4>
「日本だとコンサートっていうと、客席があって、バンドが出てくるとみんな拍手して、一曲目が始まってちょっと身体揺らして、で、ノッてきて立って踊りたいんだけど、周りを見ると、みんな立ってないから………どうしようかなあみたいな（笑）」</br>
<h4>★ははははは。ありましたねえ、そんな感じ。</h4>
「いや、それがフツーの時代だから。それに対して（ニューヨークでプラスチックスがライヴ出演もした）マッドクラブとかハラーとか客席なんかないから。スタンディングのクラブだから。ステージに出たらみんな勝手にノッてて。そこの差は大きい」</br>
<h4>★じゃあ、そのギャップを引き受けながら日本と海外を往復する活動って、かなり大変だったんじゃないですか？</h4>
「うん、ノリが悪いって意味じゃないんだけど、逆に日本はよっぽど盛り上がらないと自然に立ち上がってくれないからね。それが出来なかったプラスチックスはダメってことなんだけども。だから海外の方がやりやすかったのかも」</br>
<h4>★これは（中西）トシさんとも話したんですけど、プラスチックスって81年で解散するまでの2年間で、ものすごい活動量ですよね？</h4>
「うん。丸2年やって、3枚（のアルバムを）出して、ずっとアメリカ/ヨーロッパ・ツアー回って---------まあ、若かったから出来たっていうか、怖いもの知らずっていうか」</br>
<h4>★そんな活躍をしてるにもかかわらず、81年にプラスチックスは解散してしまうんですけど、これはどうしてなんですか？</h4>
「プラスチックスは、日本にもあたらしい伝統とあたらしい意識をもった若いのが居るんだっていうのを（世界に）見せつけてやろうっていうのもあって（海外へ）出てったわけなんだけれども---------ただ、日本人がギターとかシンセでやってるだけで、もうなんかミステリアス？　着物とか琴とか三味線使わなくても、日本人がリズムボックスでロックをやってるっていうだけで、かなりエキゾチック？　だからそういう意識をもった若いのがいるっていうアピールは充分出来たと思うんだけど、やっぱ、次はその上のレベルにぶち当たっちゃうわけだよね」</br>
<br />
<br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c13_ttl03.gif" width="325" height="66" alt="いちばんショックだったのは、ラモーンズ。やっぱホンモノはすごいなあと。これはちょっとポップじゃかなわないと"  /></p>
<br />
<h4>★とういうと？</h4>
「もうその上のレベル（の評価軸）ってボーダーレスで、ただ『いいものはいい』っていう。もうエキゾチックとか、日本人がロックとか、そんなの関係なくて。そうなるとやっぱり上には上が居るっていうか。その代表がラモーンズで」<br />
<h4>★ふーん。</h4>
「ラモーンズとはバークレーの郊外（のコンサート）で、対バンでやったことがあって---------前座じゃなくって対バン。プラスチックス“と”ラモーンズ。前座じゃないから！対バン、対バン！相手にとって不足無し！やったろうじゃん！みたいな。……そしたら全然かなわないっていう」<br />
<h4>★ははははは。</h4>
「かなわないどころか、もう口あんぐり。プラスチックスもそれなりに受けてみんな『イェー！』って感じでノッてるんだけど、ラモーンズが出て行くともう（会場ごと）ドッカ〜〜ン!!っていうか、地鳴りがするっていうか」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「（ラモーンズって）楽屋ではみんな暗いんだよね。外国のバンドってバカっぽい盛り上がりが多いんだけど、ラモーンズは楽屋に挨拶に行ったらみんな（孤独そうに）頭かかえて（自分の世界に入っちゃって）るみたいな」<br />
<h4>★（笑）。</h4>
「挨拶してもほとんど一言『………ハイ』くらいで、握手もなし。この人たち大丈夫かなあ、やる気あんのかなあみたいな（笑）。………でもすごいよ、本番になると」<br />
<h4>★あ、ステージでは変わっちゃうんですね？</h4>
「すっごい。ああいうところすごいね。表現者だね。なんかものすごいアーティストっぽいっていうか、なんか本当のミュージシャンシップみたいなものを初めて見たような気がした」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「やっぱホンモノはすごいなあと。これはちょっとポップじゃかなわないと。それで僕はポップとかロックっていうのは、ちょっともういいやってなって、中西（トシ）・（佐藤）チカはもっとポップやロックをやっていきたいってなって、ニューヨークでメンバー集めてMELONを始めて---------」<br />
<h4>★へえー、そういう経緯だったんですか。じゃあ、プラスチックス解散の引き金となったのは、対バンのラモーンズだったという？</h4>
「いちばんショックだったのは、ラモーンズ」<br />
<h4>★まあ、ラモーンズはやっぱり、すごいですよね（笑）。</h4>
「……うん、比べる方が悪いっていう（笑）。ラモーンズなんか相手にしてたら命がいくつあっても足んないよって（笑）」<br />
<h4>★ははははは。</h4>
「でも、いまになって思えば、あまりにホンモノはすごい、プラスチックスはあまりにもインチキであまりにもニセモノだ。でもそこがいいんじゃん！っていうふうに考えればよかったんだけど、そのときはそういうふうに考えられなかったから」<br />
<br />
<br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c13_ttl04.gif" width="325" height="66" alt="僕ってね、やっぱり“スタイル”を作るのが仕事で。要するに“考え方”を見てもらったり聞いてもらったりすること"  /></p>
<br />
<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column13_main2.jpg" width="270" height="180" /></span></p><br />

<h4>★そこから今度は音楽性も変わり、ソロ・アルバムの方へ活動がシフトしていくわけですけど。</h4>
「グラフィックの仕事に戻ってもよかったんだけど、たまたまサキソフォーン・カルテットっていうか、ジャズでもないしクラシックでもないし前衛でもない、ちょっとやってみたい音楽があったから、それを試しにやったら形になったんで、『H』、『Hm』と（ソロ・）アルバムを2枚作って」
<br />
<h4>★素晴らしいアルバムですよね。</h4>
「でも僕ってね、やっぱり“スタイル”を作るのが仕事で。要するに“考え方”とかを見てもらったり聞いてもらったりすることが多いから、あんまりパート2とかパート3ってやりにくいんだよね。『H』でも『Hm』でも、ああいうノンカテゴリーの音楽って、考え方とかスタイルは僕が提案したと思うけども、その後はもっと本当にサックスが上手い人が展開していった方が、より一般的にはわかりやすいものになったりするよね」<br />
<h4>★なるほどね。でもそのスタイルの提案ってことでは、ある意味プラスチックスもそういうものなんですか？</h4>
「プラスチックスもまったく一緒。そういう考え方を見てもらったり聴いてもらったりしてるって意味では、まったく一緒。たとえばグラフィックの仕事の中でも、＜タイポグラフィー＞ってシリーズがあって、あれは『いまタイポグラフィーって何なのか？』っていう考え方を見てもらってるわけだから」<br />
<h4>★なるほど。</h4>
「僕があそこでタイポグラフィーをやるまでは、タイポグラフィーなんてデザイン界でも死語になりつつあって、レタリングなんてまさに流行らない作業？　だっていい書体/フォントがいっぱいあるのに、なんで自分でダサイ字を作らなきゃいけないの？って。そこで、いまタイポグラフィーって何なのかって考え方をプレゼンしているわけ」<br />
<h4>★はい。</h4>
「それはプラスチックスの時もそうだし、『H』『Hm』のときもそうだし。個展やってても、音楽やってても、グラフィックやってても、＜アプリケーション＞やっててもそこは変わんない」<br />
<h4>★うん。</h4>
「今回のTHE CHILL（※7月4日にアルバムもリリースする立花ハジメ率いる人力ハードエレクトロサイケバンド。G.立花ハジメ、Vo.紺野千春、Dr.屋敷豪太、B.杉本邦人）もまったく一緒だよ。プロモーションビデオもあるし、バンドっていう実体もあるけど、なんでいまCHILLなのか、CHILLって何なのかっていう」<br />
<h4>★久々のバンドですよね。</h4>
「THE CHILLはとにかくツアーをやりたい。ライヴがいいバンドだからとにかくライヴをいっぱいやりたい。話があればどこでも。今回僕がTHE CHILLでやろうとしてるのは、“旅”じゃなくて“移動”。＜移動距離＞と＜移動回数＞。移動しながら物作り。＜移動距離＞と＜移動回数＞と＜アイデア＞は正比例するっていうふうに僕は思ってて、今は」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「旅をしながら物作りをする人はいるし、みんなもできればそういう生活がしたいと思う。でもなかなかお金と時間が許してくれない。じゃあさらにそれを進化ってわけじゃないけども、旅じゃなくてもいい、とにかく＜移動距離＞と＜移動回数＞を稼ぐ。とにかく留まってちゃダメ。それをやればやるほどいい曲が書ける、いいデザインができる。それを今年はやってみようと。だからいまはそれに向けてかなり打ち込んでやってますね」<br />
<br /><br /><br />
<p align="left">■<strong>80’s お宝紹介</strong><br /><br />
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column13_otakara.jpg" alt="" width="200" height="133" hspace="5" vspace="5" align="right" />
　当時、ニューヨークのカナルストリートにあるプラスチック屋さんで見つけたプラスチックの素材ですね。東京で言うと浅草橋（の卸問屋街）みたいなところ。<br />
　形は何でもあるんだけど、僕は平ぺったい丸と、このキューブのシリーズを集めてて。お店自体が現代美術の作品みたいなところで、だってこれが陳列棚にどわっとあって、それをジェリー屋さんとかお菓子屋さんのように、気に入ったのをトレーにどんどん取っていくんだから、それだけですごいじゃん？お店だけでスーパーキッチュだよね。<br />
　しかもこのキューブ、角が丸まってるでしょ？これちゃんと面取りしてあるんだよね。これだけでもう作品っていう。<br />
　でもこのお店、いまもまだあるかなあ？
<br clear="all">
<br />
<br />
<br />
インタビュー：井村純平（TOKIO DROME/WISDOM)<br />
<!--写真：松下茂樹<br />--></p>
<br style="clear:both;" />]]></description>
         <link>http://thepolice.jp/column/2007/05/80_7.html</link>
         <guid>http://thepolice.jp/column/2007/05/80_7.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">013</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 24 May 2007 12:48:21 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「すべて80年代にはじまった、出会いも表現も」</title>
         <description><![CDATA[<div class="spB30"><h1><img src="http://thepolice.jp/column/img/name_12.gif" width="275" height="24" alt="高木完（ミュージシャン）" /></h1></div>
<div><h2><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c12_ttl01.gif" width="266" height="55" alt="『すべて80年代にはじまった、出会いも表現も』" /></h2></div>

<div class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c12_ttl02.gif" width="396" height="67" alt="ナイロン100%で遊びながら、東京ブラボーでバンドをやって、その後ピテカンとかツバキハウスでよくライヴをやって。『この夜遊びが文化だ！』みたいな（笑）" /></div>

<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column12_main.jpg" width="270" height="180" /></span></p>

<h4>★完さんって61年生まれだから、80年は高校卒業したくらいですね。</h4>
「そうなるのかな？僕、（神奈川県）逗子で育ったんですけど、周りにパンクとか好きな人がいなくて、それで東京の学校行けば誰かいるかもと思って、お茶の水の文化学院に高等部から通ってたんですよ。で、そこって高等部と大学部がそのまま一緒だったんで、だから高校3年とか大学1年とかそういう意識が薄くて（笑）」<br />
<h4>★ああ、ずっと続いちゃってるんだ。</h4>
「そう、高等部も大学部も3年制なんですけど、大学部でダブっちゃって4年行ったから都合7年通ってて。77年入学で、卒業が84年だから23歳まで（笑）」<br />
<h4>★それでニューウェイヴ好きの友達とかはいたんですか？</h4>
「いましたよ。東京ブラボー（※高木完、ブラボー小松、坂本みつわを中心に活動したグループサウンズのエッセンスを感じるニューウェイヴ・バンド。81〜84年に活動）を一緒にやってた小松くんとかこの学校で会ってるし、あと米米クラブの連中とか」<br />
<h4>★あ、そうなんだ。</h4>
「そうそう。米米クラブのリーダーとバンド一緒にやったりしてた（笑）」<br />
<h4>★へえー。この頃はどんな音楽を聴いていたんですか？</h4>
「この頃はニューウェイヴばっかりですね。パンクとかニューウェイヴってあまり雑誌に取り上げられてなかったから、そういう言葉が出てれば何でもすぐチェックして、ライヴだったら行かなきゃ！みたいな感じで。とにかくニューウェイヴが来てから（価値観が）一気に変わっちゃったから。それまでは古い昔のロックを遡って聴いたりしてたけど、『もうそんなことしてる場合じゃないな』っていう（笑）。それまでのロックが否定されちゃったじゃないですか。だから友達が逗子の家に遊びに来たときとかも、昔のレコードは隠したりして（笑）」</br>
<h4>★はははは。</h4>
「ビートルズとかカーペンターズとかダサイから押入に入れて（笑）。『そんなもんねーよ』みたいな（笑）。それが80年くらいだね」</br>
<h4>★そこから東京ブラボーへはどう繋がっていくんですか？</h4>
「“ナイロン100%”って店が渋谷の宇田川町にあって、そこでたむろしてた連中なんだよね、みんな。ナイロン100%にはわりと同世代が集まって遊んだりしてて。だからゲルニカ（※戸川純と上野耕路らが81年に結成したニューウェイヴ・ユニット）とか、8 1/2 やってた（久保田）慎吾君とかとよく一緒に遊んでて。あの辺の仲間だったんだよね、東京ブラボーも」</br>
<h4>★じゃあ遊び場は主にそこ辺りっていう？</h4>
「僕らはナイロン100%で遊びながら、東京ブラボーでバンドをやって、その後ピテカン（※原宿のクラブ/中西俊夫・桑原茂一のインタビュー参照）とかツバキハウス（※新宿歌舞伎町のニューウェイヴ系ディスコ）でよくライヴをやって。ちょうどグレース・ジョーンズの曲で“ナイトクラビング”っていうのが出て、ナイトクラブこそがカルチャーの始まる場所であるみたいなふうに『宝島』とかメディアも書いてたし、自分らもその一員であるくらいの気持ちになってた（笑）。『そうだよね！　この夜遊びが文化だ！』みたいな（笑）、ある意味、都合の良い言い訳っていうか（笑）」</br>
<h4>★ははははは。</h4>
「でも実際そこでみんなと知り合ったからね。その後DJも始めたりとか、だんだん夜遊びがイコール仕事とは言わないけど、ひとつの表現、プラス、まわりのみんなと知り会っていく社交場になっていって、それまでとは違うものになってきたんだよね、83年くらいから。そしたら、それからずーっと二十何年、そのノリで来ちゃったっていう（笑）」</br>
<h4>★ははははは。</h4>
「ほんと、そんな感じだからねえ（笑）。さすがに最近はもうなかなか出不精になっちゃったけどね（笑）」</br>
<br />
<br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c12_ttl03.gif" width="396" height="67" alt="80年代後半は完全にヒップホップですね。もうこれ以上、音楽的進化はないだろうくらいに思っちゃったからね（笑）"  /></p>
<br />
<h4>★ちなみにバンドよりDJが本格的になっていくのっていつ頃なんですか？</h4>
「ピテカンが消滅するころ（※84年頃）ツバキでちょこちょこ始めてたんだよね。その辺りからバンドよりDJの方がカッコイイって思うようになってきてて。時代も変わるけど人の意識も変わるというか。その頃ってバンドやってる連中の方が頭硬くて、自分の好きなものしかやらないし聴かないんだよね。だけどDJは好きでも何でもなくても、その曲いいねって思ったら買っちゃってたでしょ」<br />
<h4>★曲の一部分が気に入っただけで買いますからね（笑）。そうなっちゃうと、今度はレコードの買い方がまるで変わるんですよね（笑）。</h4>
「変わっちゃう変わっちゃう（笑）。でもひどかったのは、ツバキハウスでDJ始めたての頃、チャリンコのカゴにレコード入れて通ってたんだけど（笑）、何枚か“友＆愛”（※貸しレコード屋さん）でレコード借りてかけてたんだよね（笑）」<br />
<h4>★わははははは！　ヒドイですねえ（笑）。</h4>
「いや、ツバキハウスって店にレコードいっぱいあったから、大体ヒット曲はあるんだけど自分のかけたいのは他にもあったし、持ってないのは借りちゃえって」<br />
<h4>★どんなスタイルだったんですか？</h4>
「最初はもろにロックのDJ。それがだんだん打ち込みものの比重が増えていくようになっちゃって、終いにはトミーボーイ（レーベル）とかヒップホップしかかけないみたいな（笑）。だから80年代後半は完全にヒップホップですね。そのころはポップミュージックの中でもうこれ以上の音楽的進化はないだろうくらいに思っちゃってたから（笑）」<br />
<h4>★へえー、ポップミュージックってとらえ方だったんだ。</h4>
「ダンスミュージックという意識よりも、どっちかっていうと珍種のポップミュージック、新しいロック、だよね。たとえばビートルズの『ホワイト・アルバム』の“レボリューション No.9”のかっこいい版みたいな（笑）。それがダンサブルになって言葉が乗っかって。そういう感覚に近かったかも」<br />
<h4>★なるほどね。</h4>
「ヒップホップというかラップに行った決定打は、（藤原）ヒロシに聴かせてもらったRUN D.M.C.の“ロック・ボックス”っていう最初にヘビメタ・ギターがフィーチャーされてたシングル。それまでもラップはワイルド・スタイル（※『ワイルド・スタイル』はヒップホップ・カルチャーがどうやって誕生したのかを詳細にリポートしたセミ・ドキュメンタリー映画。83年の公開に合わせて、ラップ、DJ、ブレイク・ダンス、グラフィティー・アート等そこに登場したクルーたちが一挙来日した）が来たときにツバキハウスとかで観てたんだけど、その時は別に何とも思わなかったっていうか、『これは黒人がやるもんでしょ。日本人がやるもんじゃない』って思ってた（笑）。ロックだと置き換えられるのに、黒人音楽って自分のクリエイティヴィティに全然置き換えられなくて。でもRUN D.M.C.のそのヘビメタ・ギターが入ってるやつは、めちゃくちゃカッコイイなあって思って。そっからだね、急に目が覚めちゃったのは。それが85年くらいかなあ」<br />
<br />
<br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c12_ttl04.gif" width="396" height="67" alt="古いレコードの一部分だけ2枚使いで聴かせて、『あ、たしかにこのイントロかっこいいかも』とか、そうやって気づかされる瞬間があってすごくおもしろかった"  /></p>
<br />
<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column12_main2.jpg" width="270" height="180" /></span></p><br />
<h4>★それで本格的にラップに行くんですね。</h4>
「そう。しかもRUN D.M.C.が出てきたら、いきなりビースティー・ボーイズもアルバム出すようになって、さらにパブリック・エネミー、デ・ラ・ソウルって、その頃そんなコラージュ・ミュージックのようなラップアルバムばっかり出てきてたでしょ、ちょうど。もう、これは！みたいな感じになっちゃって（笑）、それが加速度増した要因」<br />
<h4>★そういう衝撃を今度は日本語にしたり日本の土壌にもってこようとTINNIE PUNX（※86年結成の高木完・藤原ヒロシのヒップホップ・ユニット）を結成したりMajor Forceレーベルを立ち上げたり（※88年）するんですよね？</h4>
「だけど、僕とか僕のまわりの人はそうだと思うんだけど、けっこう好きなものをまんま同じようにはやれないんだよね。やれる人が羨ましい。ニューウェーブの時もモロにやってりゃ良かったのに、ついついちょっとひねったりした方がいいのかなとか（笑）。そのひねりがどんどんひねくれてって、ヘンなものになっちゃって（笑）、ヒップホップん時も『これちょっと“パブリック・エネミー風”に聴こえちゃうよね』ってそこで笑っちゃう感覚？どうしてもモロには出来ないっていう。逆にもろでいいじゃんって思って作ったのは本人達にしかわからなかったり」<br />
<h4>★なるほどね。でもそれって逆に武器でもあるんですかね？　たとえばスネークマンショーはロンドンパンクをそのまんまじゃなくてブラックジョークを織り込むことで、逆に日本人にリアルに突きつけたみたいなところありますけど。</h4>
「高校のとき逗子の家でラジオでスネークマンショー聴いてたけど、ギャグの合間にパンクと50'sがかかるって、これこそパンク/ニューウェイヴだ！って普通に思ってた（笑）」<br />
<h4>★ははははは！</h4>
「（笑）それはだからTINNIE PUNXでやってたのがヒップホップだって思ってたっていう人と同じなんだよね。『うっそー、お前ちょっとひねくれちゃったよね、それ』みたいな（笑）。そういうのと同じかもしれない（笑）」<br />
<h4>★（笑）。</h4>
「でもニューウェイヴのときって、それまでダサいとされてたような音楽をみんなで楽しんでやるようになったり、ヒップホップも古いレコードの一部分だけ2枚使いで聴かせて、『あ、たしかにこのイントロかっこいいかも』とか、そうやって気づかされる瞬間があってすごくおもしろかったよね。先入観あったものが『あ、違うわ』ってなって、そうすると視野が拡がるっていう」<br />
<h4>★あらたな地平が開かれる瞬間ですよね。</h4>
「うん。凝り固まっている既成概念を崩すようなものは、やっぱりいいですよね。最近はなかなかそういうのないけど、きっとまたどっかにあるし、これから自分でもそういうのをやっていって何らかの形で表現できたらいいなあって思いますね」<br />
<br /><br /><br />
<p align="left">■<strong>80’s お宝紹介</strong><br /><br />
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column12_otakara01.jpg" alt="" width="180" height="225" hspace="5" vspace="5" align="right" />
　東京ブラボーは結局メジャーデビューできなかったんだけど、ライヴはよくやってて、大貫（憲章）さんの（ツバキハウスでの）“ロンドンナイト”のイベントにも出たり、あとなぜかザ・モッズの前座やったり（笑）。82年にザ・ジャムの前座もやった。前座ばっか（笑）。でも楽しかったよ。これがその時のパンフ。新宿厚生年金会館だったね。
<br clear="all"> 
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column12_otakara02.jpg" alt="" width="220" height="147" hspace="5" vspace="5" align="left" />
パブリック・エネミーが日本に最初に来たときに、ターミネーターXがステージ上から投げたフリスビー！　なんだけど、これ数個しか持ってきてなくて、しかもリハーサルでほとんど飛ばしちゃって、本番では投げてないっていう（笑）。それでとにかく一個だけもらってきました（笑）。
<br clear="all">
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column12_otakara03.jpg" alt="" width="220" height="165" hspace="5" vspace="5" align="right" />
DEVOのホンモノのスーツ。本人も持ってないらしい（笑）。メンバーから立花ハジメさんにまわって、ハジメさんからありがたくも僕のところにまわってきました（笑）。
<br />
<br />
<br />
インタビュー・写真：井村純平（TOKIO DROME/WISDOM)<br />
<!--写真：松下茂樹<br />--></p>
<br style="clear:both;" />]]></description>
         <link>http://thepolice.jp/column/2007/05/80_6.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">012</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 10 May 2007 13:12:16 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「西新宿でレコードを買っていた80年。それがいろんなことのきっかけになってるんですよ」</title>
         <description><![CDATA[<div class="spB30"><h1><img src="http://thepolice.jp/column/img/name_11.gif" width="275" height="39" alt="北村信彦" /></h1></div>
<div><h2><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c11_ttl01.gif" width="342" height="76" alt="『西新宿でレコードを買っていた80年。それがいろんなことのきっかけになってるんですよ』" /></h2></div>

<div class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c11_ttl02.gif" width="377" height="66" alt="『さらば青春の光』を観た次の休みの日なんて、友達とふたりでモッズの服をずーっと探しに行ってました（笑）" /></div>

<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column11_main.jpg" width="270" height="180" /></span></p>

<h4>★北村さんは1962年生まれですよね。</h4>
「80年はちょうど高校3年ですね。生まれは（東京都世田谷区の）三軒茶屋で、親が家を埼玉の方に建てて一時期そこに引っ越して、でもちょうど高校卒業して僕ひとりだけ三軒茶屋に戻るんですけど」<br />
<h4>★音楽はけっこう聴いてたんですか？</h4>
「僕が高校生のときって、まだ（渋谷に）タワーレコードもなかったから、輸入盤とかブートレグ（海賊盤）を西新宿（のレコード屋街）に買いに行ってたかなあ」<br />
<h4>★西新宿にはどんな系統の音を買いに？</h4>
「基本的にはパンクにしてもニューヨーク系が好きだったんで、その辺の手に入っていないアルバムを探したりとか。だから、ザ・ストゥージズ、MC5は当然なんですけど、そこからヴェルヴェット・アンダーグラウンド、モダン・ラヴァーズ、ニューヨーク・ドールズ、ネオン・ボーイズ、テレヴィジョン、ジョニー･サンダース＆ザ・ハートブレイカーズ、リチャード・ヘル＆ザ・ヴォイドイズとか、その辺は欠かせなかったですね」<br />
<h4>★へえー。ちなみにポリスは聴いてましたか？</h4>
「聴いてましたよ。でも僕的には1stと2ndなんですけどね（笑）。途中からちょっとアダルトな方向に進み過ぎちゃったでしょ」<br />
<h4>★（笑）。</h4>
「自分的に印象的なのは、ちょうど高3のときかなあ、『さらば青春の光（Quadrophenia）』って映画あったでしょ？（※79年11月日本公開。ザ・フーのアルバム『四重人格 （Quadrophenia）』からそのタイトルを取り、内容は60年代のモッズ達を描いた映画。スティングがエース役で映画デビューを果たした作品）。あれが公開することが決まって、どこかの会場で試写会があって、学校途中で抜け出して友達と二人で『頼むから観せてください！』って言って、どうにか入れてもらって観た覚えがあるんですけど（笑）。その時に、映画の前にポリスの“孤独のメッセージ”かなんかのPVが流れてて。それはちょっと想い出があるなあ」</br>
<h4>★その頃はもう、ファッションにも強く興味を持ってたんですか？</h4>
「高3くらいにモッズに興味を持ってましたね。ザ・フーの『四重人格 』の中に写真集入ってるじゃない？　あれを見ながら、あと歌詞カード見ながら『モッズって何なんだろう？』って。で、調度そんな興味を持ってるときにその試写会忍び込んで観たから、もう（試写会の）帰りは（主役の）ジミーに成り切ってましたね（笑）。次の休みの日なんて、友達とふたりでモッズの服をずーっと探しに行って（笑）。で、ファイヤー通りにパンク系の“HELLO”って古着屋があって、そこで三つボタンのジャケットを中古で見つけて。あとフレッドペリーは買えないから他の似たようなポロシャツ買って。それから上野の中田商店でモッズパーカー買って---------」</br>
<h4>★（笑）。</h4>
「それで映画公開の前の日まで、そのモッズパーカーをいい感じに慣らして。で、友達と二人で、その格好で、ロードショーの初日に銀座まで観に行って（笑）」</br>
<h4>★ははははは。</h4>
「けっこう若い連中が並んでるんですけど、その時はモッズの格好してるヤツとかまだいなくて。それでもう、ウチら、こんなんなって粋がってんですけど（笑）」</br>
<h4>★（笑）。</h4>
「で映画観終わって出てくるじゃないですか。そうすると、みんなが聞いてくるんですよ。『それ、どこで買ったんスかあ？』って（笑）」</br>
<h4>★ははははは。</h4>
「もう、二人で『試写会観に行っといて良かったよなあ』みたいな（笑）。『これでベスパがありゃ完璧なのになあ』って（笑）」</br>
<br />
<br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c11_ttl03.gif" width="289" height="45" alt="学校が新宿だったから、”ツバキハウス”はもう毎日のように行ってた" /></p>
<br />
<h4>★北村さんは高校卒業後、東京モード学園に入りますが、当時の遊び場っていうとどの辺だったんですか？</h4>
「“ツバキハウス”かな。学校が新宿だったから。六本木の“花椿”とか“クライマックス”も行ったけど、“ツバキハウス”はもう毎日のように行ってた。当時まだバイキングみたいなのが置いてあって-----------」<br />
<h4>★はははは、フルーツパンチとか（笑）。</h4>
「そうそう（笑）。あと、なんかまずーい干しぶどうが入ったピラフみたいなドライカレーみたいなやつとか（笑）」<br />
<h4>★はははは！　あれは何だったんでしょうね？（笑）。ちなみにツバキでは当時どんな音楽がかかってたんですか？</h4>
「ちょうどYMOとかプラスチックスもかかってましたよ。だからそういう連中を通して、初めて邦楽にも耳を傾けたときかも知れない」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「あとね、（80年8月に）武道館で“Pop'n Roll 300%”っていうイベントがあって、それに行きましたね。ちょうど順番がシーナ＆ザ・ロケッツやって、次がプラスチックスで、RCサクセションがトリ。で、鮎川（誠）さんとかあの感じだから会場も盛り上がってて」<br />
<h4>★はいはい。</h4>
「で、なんか知んないけど、その日のライヴはライヴ盤が出るみたいな噂が流れてて、僕、わりと前の方で観てたんですよ。あと、それってプラスチックスが海外ツアーから帰ってきてから初の大きなイベントで、でもプラスチックスになってボルテージ的には落ち気味になって、一曲やるんだけど会場がシーンとなってて、（立花）ハジメちゃんがMCでちょっとたじたじしてて。それで『えっと……次の曲は---------』とか何とか言ってたときに、もうココしかないなあって思ってオレ、『ハジメちゃーん!!!』って叫んだんですよ」<br />
<h4>★はははは！</h4>
「その瞬間バーンって演奏が始まって、ノリもいい感じになってきて、それで『よーし！　これでライヴ盤にオレの声も入っただろうな』って思って（笑）。思ってたんだけど結局ライヴ盤は出ず（笑）、何だあって思ってて。それからもう数年経った頃、ロンドンで（プラスチックスの佐藤）チカちゃんと（中西）トシちゃんが一緒に住んでたときにパーティーにお呼ばれして行ったんですよ。で、そのパーティー終わって帰る間際に『そう言えばトシちゃん、オレ昔さあ、学生のときプラスチックスとか好きで、Pop'n Roll 300%とか行ったんだよね。あれってライヴ盤になるって噂出てなかった？』『あ、出てた出てた』みたいな話になって。で、『オレさ、2曲目の頭で思いっきり＜ハジメちゃーん!!!＞って叫んだんだよね』って言ったら、『え!?　あれノブだったの!?　おいチカ!　チカ！　あの救われた＜ハジメちゃーん!!!＞って実はノブだったらしいよ！』ってメンバー覚えてて」<br />
<h4>★へえー！</h4>
「バンド的にはその『ハジメちゃーん!!!』って声で救われて、自分たちもテンションが上がったらしいんだよね」<br />
<h4>★それ、すごい話ですねえ！</h4>
「それも何年も経った後だよ？　それはびっくりして、ちょっとうれしかった」<br />
<br />
<br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c11_ttl04.gif" width="377" height="66" alt="『The Art of Rock』を見てたら『どう考えてもオレはこっちの世界の方がすきだなあ』って思ってしまい（笑）、そこで吹っ切れたんですよね" /></p>
<br />
<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column11_main2.jpg" width="270" height="180" /></span></p>
<h4>★84年に学校卒業してオゾン・コミュニティーに入社した時点で、北村さんはヒステリック・グラマーを立ち上げてますけど、ちなみにニューヨークに行くのはいつ頃なんですか？</h4>
「僕が初めてニューヨークに行ったのは86年。ちょうどHYSをやって2年目くらいですね。フランス人の友人がニューヨークに引っ越して、たまたま僕が描いたグラフィックが背中にのってるジャンパーを着てどこかのクラブに遊びに行ったらしいんですよ。で、ある日、夜中仕事してたら電話かかってきて、『きのうクラブ行って、お前のジャンパー着てたら後ろから声掛けられて、＜それいいね、誰が描いたの？＞って聞かれたんだけど、それ誰だったと思う？』って。『え、誰？』『アンディー・ウォーホールだったんだよ』って」<br />
<h4>★えー！</h4>
「『え、マジで!?』ってなって。もう当時持ってた車を速効で売って、自分の作品持って、それで初めてニューヨークに行ったんですよ」<br />
<h4>★そうなんだ。</h4>
「86年の年末ですよね。会社にそんなお金もなかったし、自分の金で行くしかないと思って」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「ただ、結局その時ウォーホールはバカンスでどっか行ってて会えなくて。でも次来た時に会うためのきっかけはつかんだし、初めてのニューヨークだったし、まあ良かったなあって思って。で、帰って、今度いつ行けるんだろうなあなんて思ってたら、翌月の2月22日にアンディー・ウォーホールは死んでしまうんですよね」<br />
<h4>★あ、そうなんだ……。</h4>
「で、そのニューヨーク行った頃って、川久保玲さん（※コム・デ・ギャルソン）や（山本）耀司さんがアート的なファッション・カタログを作ったりしてて、『ファッション・デザイナーってこういう方向に行かなくちゃいけないのかな？　洋服を建築的に捉えないといけないのかな？』ってHYSの展開についてちょうど悩んでた時期で」<br />
<h4>★うん。</h4>
「それで、たまたま（クリスチャン・）ディオールのこんな分厚い全集みたいな本と、『The Art of Rock』っていう60年代頃からのロックのポスターが載ってる本があって、それをとりあえず買って、ニューヨークからの帰り飛行機の中でずっと見てたんですよ。そしたら川久保さんとか耀司さんが80年代頭にやってたのと同じようなことをディオールはそこでやってるわけですよ。それで、みんなこういうところから影響を受けてるんだなって気が付きながら、それと同時に『The Art of Rock』の方を見てたら『どう考えてもオレはこっちの世界の方が興味あるし、好きだなあ』って思ってしまい（笑）、そこで吹っ切れたんですよね」<br />
<h4>★（笑）なるほどね。</h4>
「だったら自分の好きなことやればいいんじゃないかなって。ベティ・ペイジ（※アメリカのアンダーグラウンドなボンデージ系モデル）とかそういうのもアリだとか。ってやってる内にだんだんウチのブランドらしさみたいなものが出てきて、世間の人も受け入れてくれて」<br />
<h4>★じゃあ、80年代にHYSの方向性は固まっていったんですね。</h4>
「そうですね。やっぱり僕はニューヨークのアンダーグランドなものにすごく憧れてたかなあ。だから86年以降、ニューヨークは年に1〜2回は定期的に行って、それでもう夜な夜な遊び回って。ただ、あの頃のモノクロームなギスギスした感じって、もうないでしょ？　ここ最近ニューヨークに行っても、ほんとにクリーンになっちゃって。もうああいう色ってニューヨークにはないのかなあって」<br />
<br /><br /><br />
<p align="left">■<strong>80’s お宝紹介</strong><br /><br />
ジョニー・サンダース / 『ハート・ミー』（84年発表）<br><br>
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column11_otakara.jpg" alt="" width="220" height="147" hspace="5" vspace="5" align="right" />
　当時よく聴いてたジョニー・サンダースの弾き語りのアコースティック・アルバムです。ちょうど自分がHYSやり始めて、ちょっと落ち込んだときとか、よく浸って聴いてました。ボブ・ディランのカヴァー曲もありますね。
　ジョニー・サンダースは、86年に初めてニューヨークに行ったときに、偶然クラブで観たんですよ。全然違う目的でそのクラブに行って、違うフロアで騒いでたんですけど、他のフロアも観てみようと思って下へ行ったら、人がたくさん溜まってて何かライヴやってるんですよ。それで『これ、誰？』って聞いたら『ジョニー・サンダースだよ』『え〜!?』みたいな（笑）。ただ、彼はもうヘロヘロでしたけどね（笑）。
<br><br>
※Johnny Thundersは、1952年生まれ。ニューヨーク・ドールズのギタリストを経て、リチャード・ヘルらとハートブレーカーズを結成。1977年にファーストアルバムをリリース。ニューヨーク・パンクのムーヴメントを象徴するアーティスト。
1991年4月、日本公演の直後、ニューオリンズでヘロインのオーバードーズにより急逝。享年38歳。
<br />
<br />
<br />
インタビュー：井村純平（TOKIO DROME/WISDOM)<br />
<!--写真：松下茂樹<br />--></p>
<br style="clear:both;" />]]></description>
         <link>http://thepolice.jp/column/2007/04/80_5.html</link>
         <guid>http://thepolice.jp/column/2007/04/80_5.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">011</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 26 Apr 2007 13:08:21 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「80年代、私は筋金入りの「ダモン・ブラザース」だった。つま 。」</title>
         <description><![CDATA[<div class="spB30"><h1><img src="http://thepolice.jp/column/img/name_10.gif" width="275" height="21" alt="桑原茂一（CLUB KING代表）" /></h1></div>
<div><h2><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c10_ttl01.gif" width="307" height="76" alt="『80年代、私は筋金入りの「ダモン・ブラザース」だった。つまり自覚なしのピエロのこと。』" /></h2></div>

<div class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c10_ttl02.gif" width="379" height="69" alt="オレが受けた衝撃をどうやってラジオから伝えようかっていう。それがたぶんスネークマンショーの愛のすべてだと思うんですよ" /></div>
<!--
<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column10_main.jpg" width="270" height="180" /></span></p>
-->
<h4>★YMOの『増殖』（80年リリース）に参加したことで大ブレークした“スネークマンショー”ですが、当時、音楽とブラックジョークを合体させるという発想はどんなところから来たものなんですか？</h4>
「まあ、基本は音楽番組ですから。（※<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC" target="new">『スネークマン・ショー』</a>は76年春から放送していたラジオ音楽番組。小林克也がアメリカのディスクジョッキー（DJ）ウルフマン・ジャックを真似て曲を紹介。その後、俳優として活動していた伊武雅刀が加わり、ショートコントを織り交ぜるというスタイルになった。放送局を変えながら1980年まで番組は継続）。たとえば日本でいちばん最初にセックス・ピストルズがかかったのはスネークマンショーだと思うんですけど、あの時はたまたま私は77年（のパンク勃興の時代）にロンドンに行ってますから、現場を観ているので自分の中がささくれ立ってるわけですよね。髪の毛もツンツンで（笑）。そういう気持ちを持って、その曲をラジオでどうかけるかっていう想いや、オレが受けた衝撃をどうやってラジオから伝えようかっていう。それがたぶんスネークマンショーの愛のすべてだと思うんですよ」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「だから（スネークマンショーを聴いて）みなさんが“お笑い”って言ってるものって、オチを作るための笑いじゃなくて、曲と曲を繋ぐためのブリッジ、つまり“ジングル”なんですよ。その瞬間のエネルギーで次の曲をいかに際だたせるかっていう。そこを極めるっていうのが自分の中では一番ポイントだったわけで。だから最初から、ここで笑ってくださいっていうコントを作ってるわけではないんですよ」<br />
<h4>★なるほどね。</h4>
「たとえば、ちり紙交換と選挙カーが路地でぶつかりあって、お互い頑張るからうるさくてしょうがないじゃないですか。僕らその頃、深夜型の生活してるから、もうたまんないわけですよね（笑）。寝たばっかりなのにみたいな（笑）。怒り爆発みたいな（笑）。この怒り爆発の『ふざけんなー！』ていうのと、ピストルズの『ふざけんなー！』が合体するわけですよ」<br />
<h4>★ははははは。</h4>
「結局それが笑いっていうことになってるんだけど、衝動としてはそういう感じですよね」<br />
<h4>★なるほどねー。それを茂一さん、小林克也さん、伊武さんの3人で作っていくんですか？</h4>
「ただ私がOK出さないと（そのテイク）は使われないわけだから。僕は（芝居は）素人なんだけど、瞬発力の塊のようなものは欲しいから、それが出来るまではOK出さないんですよ。だからスタジオから（小林）克也さんと伊武（雅刀）ちゃんが『上手くいったよなあ』みたいな顔して出てきてもオレが暗〜い顔してるから、『あ、ダメなんだ？』みたいな（笑）」</br>
<h4>★ははははは。</h4>
「『じゃ、もっかい行きましょうか』ってなって、終いには喧嘩になって『（いまのテイクの）何が悪いんだよ！　どうすりゃいいんだよ！』みたいな感じになって、シ〜ンみたいな（笑）。もう何度も分裂しかかりましたよね」</br>
<h4>★そうなんですか？</h4>
「私も彼らに説明できる言葉を持ってなかったし。たとえば『前の芝居と、その前の前の前の芝居と、どう違うんだ？』って言われても、『なんかこう、降りてきてないんだよねえ』みたいな」</br>
<h4>★感覚的なところなんですね。</h4>
「そう、でもその内『キタッ！』て瞬間があるんですよ。その『キタッ！』ていうのを経験してるから、来ないときはやっぱりOK出せないんですよね。でも、たぶん繰り返し（レコードで聴くの）に耐えられるっていうのはそこなんですよ。普通にきれいに芝居していれば、それで芝居は完成してると思うけどスネークマンショーのあの妙なエネルギーの塊っていうのは、そういうことじゃない何かなんですよね」</br>
<br />
<br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c10_ttl03.gif" width="379" height="69" alt="バスキアが来てるかと思えば、ジョン・ライドンも来るわ、ありとあらゆる人が毎晩来てね……すんごいストレスですよ、ほんとに（笑）" /></p>
<br />
<h4>★この後、82年にピテカン（トロプス・エレクトスという原宿のクラブ／中西俊夫のインタビュー参照）が始まるわけですね。</h4>
「そうですねえ。やっぱり海外にみんな目が向いてましたから。日本にはおもしろいものはなくて、すべておもしろいものは向こうから来るっていう時代だったんで。で、ニューヨークにもロンドンにも必ず行くべき場所（クラブ）があるんだから、東京にもないとねって気持ちがあってピテカン始めたんですけどね。
それと（中西俊夫と佐藤チカが81年に結成したユニット）MELONがライヴをやる場所がね、相変わらずライヴハウスしかなかったので、あたらしい流れをやっぱり作らないとっていう気持ちもあって」<br />
<h4>★なるほどね。</h4>
「でも、ほんとに日本に来た人たちはみんな来てくれましたよね。ただ私もあんまり人付き合いが得意な方じゃないんで、しかも英語もそんなに達者じゃないから、かなりストレスでしたねえ---------（ジャン・ミッシェル・）バスキアが来てるかと思えば、ジョン・ライドンも来るわ、毎晩のように有名人が来るんですが……すんごいストレスですよ、ほんとに（笑）。向いてない仕事をやりましたよねえ……」<br />
<h4>★（笑）向いてませんでした？</h4>
「まったく向いてませんねえ。トシちゃんは向いてるんですけどね、社交的だし、英語も上手いし。どっちかっていうと僕は裏方ですからね。でも当時ピテカンではとにかくトシちゃんと一緒に下らないことばっかりやってましたよね。トシちゃんはもう、思いついたら何でもって感じでしたから。それがどのくらいお金がかかるかとか、どのくらい人材が必要かとか考えていませんからね。でも大概のことはやったんじゃないですかね」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「その当時お客さんにパーティーの案内とか出すときにも、下らないこといろいろ考えてやってて、ある時ですね、『ピテカンの奥の方を掃除してたらすごいものが出てきたんで、みなさんにお裾分けします』とか書いた文章で（笑）、開けたらパタパタパタッて音がする仕掛けがあるんですよ。それがパタパタパタッて鳴って開けたら粉が入ってるだけなんですよ、白い粉って小麦粉なんですけどね」<br />
<h4>★わはははは！</h4>
「だけど、みんなは『えー!?』みたいに、ほんとにビックリしたらしくて（笑）。後でみんなにすっごい怒られたの覚えてますよ。水商売の人間がこんなことやっちゃいかん！みたいな、真剣に怒ってました」<br />
<h4>★ははははは。</h4>
「僕達は筋金入りのダモンブラザースですから『いいんだもーん』で終わらせちゃうからね（笑）」<br />
<h4>★ははははは。</h4>
「何かあると『いいんだもーん』ってごまかしてましたからね（笑）。懲りずにね、『真面目にやってんか、お前ら！』みたいな（笑）」<br />
<h4>★（笑）。</h4>
「でもいまって、そういうホントの意味でプリミティブでクリエイティブなものが出てくる土壌が逆になくなっちゃいましたよね。完成されてお墨付きがついて、値段がはっきりしたものばっかりですよね。それは僕からしてみると面白くないですけどね」<br />
<br />
<br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c10_ttl04.gif" width="379" height="69" alt="本来のクラブカルチャーにあった、まだ見たことのない何かが生まれてくるんじゃないかっていう、その可能性はやっぱり諦めたくないなって" /></p><br />
<h4>★（フリーペーパーの）『dictionary』は来年で創刊から20周年を迎えるんですよね？</h4>
「そうですね。87年創刊ですから。もともとは自分がロンドンのクラブカルチャーが好きだったこともあってロンドンのシーンを東京に持ちこもうとして始めたんですよね。ただ、日本にはシーンがゼロだったわけですから、だから経済（ビジネス）として成立していないものを記事にするっていう雑誌が当時皆無だったので、自分たちで作らざるを得なかった感じですかね。フリーっていうことは、タダで配ることでもあるんだけど、もうひとつやっぱり、金では買えないものを作る。という気概も半分ギャグですが、あったのかもしれないですね」<br />
<h4>★なるほど。</h4>
「たとえばロンドンのシーンのライフスタイルって、バンドひとつにしてもね、ミュージシャンがいて、マネージャーがいたりローディーがいたり追うレスがいたりしますよね。だけど日本ってミュージシャンがすごく高みにいて、それ以外はみんな家来みたいな社会じゃないですか。でも向こうってみんなフラットなんですよね。それがすごく新鮮で羨ましかったし、自分たちもその方が自分たちらしいなって。なのでA to Zで毎回２６人が登場する編集スタイルはそこから始まったんですね。つまり、その人が有名だろうかなかろうが、同じように登場するスタイルを作りたかったっていうのは変わりの利かない個人を尊重するという姿勢ですね。」<br />
<h4>★でも20年続けるって、ものすごいエネルギーですよね。</h4>
「実は、今年の6月くらいにウェブでアーカイヴを公開するんですよね。それまでには1号目から50号目まで全部アップするんですよ」<br />
<h4>★えー、それはすごい！</h4>
「今年中には全部上げようと思ってるんですよ（笑）。これでやっとdictionaryと名乗った意味が出てくるかなあと思ってるんですけどね。『未来を明るく照らす知恵』なんて無理矢理かっこいいこと言っちゃってますけど（笑）、やっぱり長く続けてると、20年前に起こったこととか、あの当時何かやってた人たちがいまこうなってるって見ていったりすることって、これから何か始める人たちにとってはいいヒントになるんじゃないかなと思うと、それはもしかしたら知恵とよんでもいいかもしれないとかね。長くやっててよかったなと思うところですね」（※『<a href="http://dictionary.clubking.com/" target="new">DICTIONARY LIBRARY</a>』 公開中）<br />
<h4>★素晴らしいですね。</h4>
「あと、いろんなジャンルの人間が集まることってすごく大事だと思うんですよ。そういえば今度、坂本龍一さんたちYMOの3人が発起人で“MORE TREES”っていう中間法人を一緒に立ち上げて、植樹とか環境へのアプローチを始めていくんですけど、そういう動きの中でたまたまこの本を読んでいて（※『魂の森を行け 3000万本の木を植えた男』一志治夫・著/新潮文庫）、この人がいいこと言ってて、『混ぜろ混ぜろ！いろんな木を混ぜて植えろ』って言うんですね。本当の森にするにはランダムに植えていかないとダメなんだけど、日本って“海岸は松”ってなったらどの海岸も松みたいな、集まりやすいものを集めてしまうところがあるんですよね。これが良くないって書いてあって、『それ、クラブカルチャーと一緒じゃん！』みたいな（笑）」<br />
<h4>★ああ、そうかそうか。</h4>
「だからレゲエが好きとか、ハウスが好きとか、ラップが好きとか、そうやって（ジャンルで）何もかも分けていったら、ある程度までは行くんだけど、いずれ自滅しちゃうんだよね。どんどんつまんなく伝統芸に朽ちていってしまうんですよ。だけど本当はひとつの場所に混ざって全部が入っていれば森に成長するように、お互いが競争し切磋琢磨していけば新しいものを作ることの意味が違ってきたと思うし、本当の意味でのカルチャーに成り得たかもしれないんですよ」<br />
<h4>★なるほど。</h4>
「やっぱり自然から教わることが人間にとってものすごく必要なことばかりで、それをちゃんと大事にしていれば最悪のことは起こらないっていう、そういう本能をもう一回獲得していかないとって思いますけどね」<br />
<h4>★まったくその通りですね。</h4>
「まあ、本来のクラブカルチャーも、いろんな人たちが垣根を越えて集まって来ることによって、まだ見たことのない何かが生まれてくるんじゃないかっていう、その可能性に賭けたわけですから、そこはやっぱりまだ諦めたくないなって」<br />
<br /><br /><br />
<p align="left">■<strong>80’s お宝紹介</strong><br /><br />
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column10_otakara01.jpg" alt="" width="220" height="147" hspace="5" vspace="5" align="right" />
　これはトシちゃんが個展用の作品として、トシちゃんがアイデア出して、岡山の石職人さんが作ってくれた、MELONの御影石で出来たレコード・ボックス。レコードも御影石で出来てて、でも落としちゃって割れてしまってますけど。材料費だけで20万円かかってるんですよ。私が材料費を出しました（笑）。出させられたって言った方がいいかも（笑）。もちろんこれ一品しかないですよ。
　その時の個展は、これと、あとはブラックライトで光る蛍光ペンで描いた絵の作品でしたね。そのとき私も自分がサジテリアス（射手座）だから、サジテリアスの絵を描いた一点ものを買ったんですけど、その時は綺麗じゃない？　でも消えていくんだよね（笑）。蛍光ペンだから（笑）。いま、もう、かなり見えないですよね。
<br /><br />
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column10_otakara02.jpg" alt="" width="220" height="330" hspace="5" vspace="5" align="left" />
あとトシちゃんが作ったのでおもしろいのが、スネークマンショーの『核シェルター・ブック』。本を包む側を鉛で作ろうって言い出して、それで作った鉛用の型ですね。でも、そんなのできるわけないじゃんって怒られて（笑）。本屋さんに並んだときは苦肉の策でこうなりましたけど。
<br />
<br />
<br /><br />
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<br />
<br />
<br />
<br />
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インタビュー：井村純平（TOKIO DROME/WISDOM)<br />
写真：松下茂樹<br /></p>
<br style="clear:both;" />]]></description>
         <link>http://thepolice.jp/column/2007/04/80_4.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">010</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 12 Apr 2007 13:11:06 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「ロックと弟とMTV、80年代僕に影響を与えたのは（笑）」</title>
         <description><![CDATA[<div class="spB30"><h1><img src="http://thepolice.jp/column/img/name_09.gif" width="275" height="21" alt="鮎貝健（タレント/パーソナリティ）" /></h1></div>
<div><h2><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c09_ttl01.gif" width="301" height="56" alt="『ロックと弟とMTV、80年代僕に影響を与えたのは（笑）』" /></h2></div>

<div class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c09_ttl02.gif" width="321" height="44" alt="『ザ・ベストテン』とか『ザ･トップテン』とか観て、周りの話しに馴染もうとしたんですけど（笑）" /></div>

<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column09_main.jpg" width="270" height="180" /></span></p>

<h4>★鮎貝さんって80年で10歳だから、十代が80年代なんですね。</h4>
「思いっきりそうですね」<br />
<h4>★2歳から9歳まではニューヨークに住んでたということですが、その後はどちらに？</h4>
「9歳の後半からずっと東京です。小学校3年の3学期のときに帰ってきて。まだ小さいからそんなに意識なくて、東京来たときも、これからここに住むんだってくらいだったんですけど。それよりも一番重要だったのは、まず周りの子たちにとけ込みたいなっていうのがあったんで、歌謡番組を見たりして」<br />
<h4>★歌謡番組？</h4>
「『ザ・ベストテン』（※久米宏と黒柳徹子が初代司会の毎週生放送のTBS系列邦楽ランキング音楽番組）とか『ザ・トップテン』（※日本テレビ系列の同内容の対抗番組）とか観て、周りの話しに馴染もうとしたんですけど（笑）」<br />
<h4>★（笑）。</h4>
「でも両親が厳しくて、テレビって一日30分しか観ちゃいけなかったんですよ。決まった番組を申告してから観ないといけなくて。でも幸い両親ともけっこう忙しく（笑）、弟とふたりでチャンネル奪いながら観てたんですけど」<br />
<h4>★（笑）他にどんな番組を観てたんですか？</h4>
「学校から帰ってきたらTVK（テレビ神奈川）の“ファントマ”（※『ファンキートマト』という音楽情報番組）とか観たり、あと深夜は親が寝付いたのを見計らって『ベストヒットUSA』（※小林克也が司会の洋楽番組）とか、あとTVKの（プロモーション）ビデオだけ流してる時間帯に起きてましたね」</br>
<h4>★じゃあ、小学校の頃にはもういろんな音楽を聴いてたんですね？</h4>
「いや、貪欲には聴いてないですけど、すごい興味を持ってて。
自分でもバンドをやりたいなって何となく思ってたんですけど」</br>
<h4>★へえー。弟さんも音楽好きだったんですね。</h4>
「ひとつ下なんですけど、弟がそういうの早くて。音楽は弟にいろいろ教えてもらいましたね。彼がポリスとかスティングとかボブ・マーレーとかいろいろ教えてくれて。ほとんど入り口は弟ですね」</br>
<h4>★そうなんだ。どんな弟だったんですか？</h4>
「まあ、とにかく、ものすごいロックな弟ですね」</br>
<h4>★ワルだったっていう？</h4>
「ワルで人気者で。中学の頃は、弟はボンタンに中ランで裏地に刺繍入れてみたいな感じだったんですけど。でも僕は中1の時に買った制服をちゃんと3年間着る方でした」</br>
<h4>★そうなんですか？</h4>
「だから弟が最近よくみんなに言うのは、『家の兄貴はね、中学の時かっこ良かったんだよね。みんなボンタン履いてるのに、兄貴だけケツに食い込むくらいスリムパンツで』って」</br>
<h4>★ははははは。</h4>
「『カバンもこんなぶっとくて』って（笑）」</br>
<br />
<br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c09_ttl03.gif" width="321" height="44"  alt="ジューダス・プリースト聴きながら家出しました。操り人形になるもんかって思いながら（笑）" /></p><br />
<h4>★高校も日本の高校ですよね？</h4>
「弟が高校に上がるときに、父親がもう一回アメリカに赴任するっていうのが決まって、家族は弟も連れてアメリカに戻ったんですけど、僕はたまたま日本の私立の学校（※学習院高等科）に受かったんで、親戚のところに残ったんです。なのに僕、高校2年の時、87年から88年にかけて、家族に呼ばれてまたニューヨークに行ったんですよ」<br />
<h4>★それって高校生の途中ってことですか？</h4>
「そう。高校2年の夏休みから1年間。でも当時、海外行ってる間の単位は数えられなくて、結局一年ダブるんですよね。で帰ってきてからもう一年ダブって、だから高校は5年間行きましたね」<br />
<h4>★あ、そうなんですか？　それは遊んでて？</h4>
「いやいや。話せば長いんですけど、家の父親が『アメリカで一年、家族と一緒に過ごしなさい』って中途半端なこと言い出して。僕は中学の時から制服をパツパツに着るくらい真面目だったので、そんな高校で一年間ダブるようなドロップアウトな人生は嫌だって言ったんですけど、『でもたとえばアメリカに来て、アメリカの大学に進むっていう方法もあるじゃないか』みたいなことを説得されて、それで結局アメリカの学校に編入して」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「で、最初の一学期が終わった頃に親が（学校に）保護者面談に行ったら、先生に『健くんはとてもいい感じですよ』って言われて満足げに帰ってきたんですよ。でもその後、親に『でもアメリカで誉められるのもいいけど、日本に帰るんだから日本の勉強もしないとダメだよ』って言われて。『いや、アメリカもいい感じだし、そのままアメリカにいるかも』みたいなこと言ったら、父親が『絶対ダメだぞ。一年したら帰すから』『え!?　じゃあ何のためにダブるの？』って話になって……それが自分がグレる瞬間でしたね」<br />
<h4>★はははは。</h4>
「マジでキレましたね。ジューダス・プリースト聴きながら家出しました」<br />
<h4>★（笑）反逆ですね。</h4>
「あとメタリカも聴いてました。操り人形になるもんかって思いながら（笑）」<br />
<h4>★ははははは。</h4>
「で、その保護者面談以降は、ほとんど学校に行かなくなっちゃって。学校行ってもずっと喫煙所にいるか---------当時アメリカの学校って喫煙所があったんですよ。16歳からたばこ吸っていいんで。今じゃ考えられないですけど。で、そこにはスラッシュ・メタル聴くようなやつとか、あとヤク中とか、そんなのばっかり居て」<br />
<h4>★（笑）ああ、ふき溜まってるんだ。じゃあ東京に居た頃からすると、環境が激変しちゃったんですね。</h4>
「もう、されるがままみたいな。もう弟についていくだけですよ」<br />
<h4>★はははは。</h4>
「弟はニューヨークですでに縄張り作って悪い仲間いっぱい連れてて（笑）。で、バンド始めてて、ヴォーカルが居ないんだか辞めるんだかって話になってて。それで（恐る恐る）『……よろしくお願いします』ってオレが（ヴォーカルに）入ったんですけど（笑）」<br />
<h4>★（笑）それ、どんなバンドだったんですか？</h4>
「もう、LAメタル全開です」<br />
<h4>★（笑）ヘヴィメタルが好きだったんですね。</h4>
「いや、周りがメタルの奴ばっかりだったからで」<br />
<h4>★でも、とにかく人生そこで大きく変わったという。</h4>
「そうですね。NYでそれから僕は引きこもりがちになって、でもいわゆる人気番組とかも一切観ないで、MTVばっかり観てましたね。何回リピート（放送）されてもずっとMTVしか観なくて。そこからロックに目覚めて。どっぷりと行きましたね。調度80年代も後半に入ってきて、LAメタルのポイズンとか聴くようになって。だからエアロスミスをMTVで観つつ、個人ではポイズン（のアルバムを）聴いて、（バンドの）勉強でドッケンとかを聴いてました」<br />
<br />
<br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c09_ttl04.gif" width="400" height="42" alt="3人でバンド始めたんです。もうスーパー高校生バンドでしたよ。サーカスみたいな---------速い速い！みたいな（笑）" /></p><br />
<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column09_main2.jpg" width="270" height="180" /></span></p><br />
<h4>★それでNYから一年で日本に戻るんですね？</h4>
「そうです。一年学年落として。ショックでしたよ。ほんと荒れちゃって。預けられてた親戚の家にもすごい苦情が来るし、家には帰って来ないしみたいな……そんな悪いことはしてないんですけどね」<br />
<h4>★（笑）。</h4>
「その頃に居酒屋で知り合った歳の同じドラムの子がギタリスト紹介してくれて、3人でバンド始めたんです。で、ベーシストを探して、ウチの弟を呼んでみたいな感じで」<br />
<h4>★そのバンドは本格的なバンドだったんですか？</h4>
「そうですね。もうスーパー高校生バンドでしたよ。サーカスみたいな---------速い速い！みたいな（笑）」<br />
<h4>★ははははは。人気はあったんですか？</h4>
「自分で言うのも何ですけど、最強でしたね。Bump’n Grind（バンプン・グラインド）っていうバンドで、実はまだ解散してないんですよ。ギターの奴は、すごいワルイ奴なのに、ギターだけはメチャメチャ上手くて。今でもたぶんテクニック的に、日本であいつ以上に弾ける奴はいないんじゃないかって。サーカスみたいに弾きまくる“日本一の速弾き野郎”ですよ（笑）」<br />
<h4>★じゃあ、とにかくNYから帰ってからはバンドが生活の中心だ。</h4>
「そうですね。その頃ツイステッド・シスターのプロモーション・ビデオで、お父さん役の役者さんが出てきて『このロクデナシが！　お前は何をやりたいんだ！』って言ったときに、子供が振り返っていきなり声が（ヴォーカルの）ディー・シュナイダーの低い声で『I wanna Rock !』って言うんですけど---------それに影響されて、お母さんに台所で『そんなので将来どうするの！』って言われたときに『I wanna Rock !』って言っちゃったことがあって」<br />
<h4>★わははははは！</h4>
「その時の母の寂しそうな表情がもう……（笑）」<br />
<h4>★（笑）でもそんなロックな方向性が、後のMTV JAPANでのVJに繋がっていくんですね。</h4>
「というか、これは92年くらいですけど、電車の吊り広告で『”MTVジャパン”が始まるのでVJ大募集』っていうのを見て、『すごいたくさん応募する人いるんだろうな』と思いながら眺めてたら、電車の中でたまたま一緒に居て声をかけて来た人がMTVの人で。それで僕のMTVでのVJが始まるんですよ」<br />
<h4>★へえー！　応募したわけじゃないんですか？</h4>
「違うんですよ」<br />
<h4>★すごい偶然というか、ラッキーですねえ。</h4>
「はい、ラッキーですね。ちなみにその時に電車で聴いてたのはデンジャー・デンジャーでした（笑）」<br />
<br /><br /><br />
<p align="left">■<strong>80’s お宝紹介</strong><br /><br />
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column09_otakara.jpg" alt="" width="220" height="147" hspace="5" vspace="5" align="right" />
　メタルベルトはいま、結構普通に売ってますけど、当時は高価なもので、限られたところでしか売ってなくて。お茶の水の“ダブルデッカー”とか。“ロックの日”（6月9日）に半額セールやってたんですよ（笑）。原宿にもあった他の店には“メタル福袋”みたいなのもあって（笑）、買うと聞いたこともないメタルバンドのTシャツとか、ロクなもの入ってなかったですね（笑）。<br>
　あと、古着屋さんで1万円で買ったライダースの革ジャン。なぜか当時のは肩が張ってるんですよね（笑）。肩パットが入ってて（笑）。さすがに今は着てませんけど、でもまた着るタイミングが来るかもと思って取っておいてあるんです。
<br />
<br />
インタビュー：井村純平（TOKIO DROME/WISDOM)<br />
写真：松下茂樹<br /></p>
<br style="clear:both;" />]]></description>
         <link>http://thepolice.jp/column/2007/04/mtv80.html</link>
         <guid>http://thepolice.jp/column/2007/04/mtv80.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">009</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 05 Apr 2007 12:10:45 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「80年代にすべてが始まった。だから僕は80年代生まれ」</title>
         <description><![CDATA[<div class="spB30"><h1><img src="http://thepolice.jp/column/img/name_08.gif" width="275" height="21" alt="飯野賢治（fyto代表/ゲームクリエーター）" /></h1></div>
<div><h2><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c08_ttl01.gif" width="254" height="57" alt="『80年代にすべてが始まった。だから僕は80年代生まれ』" /></h2></div>

<div class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c08_ttl02.gif" width="301" height="46" alt="秋葉原で下りたらすぐラジオ会館に行って。そこにもう週の半分くらい行ってた" /></div>

<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column08_main.jpg" width="270" height="180" /></span></p>

<h4>★飯野さんは80年に小学校5年くらいですけど、その頃はどこに住んでたんですか？</h4>
「僕は（東京都）荒川区生まれなんですけど、家のおやじの会社が引っ越した都合で埼玉で暮らしていて」<br />
<h4>★じゃあ埼玉の小学校に行ってたんですね。</h4>
「ただ僕ね、小5小6の頃って、半分くらいしか学校行ってないんですよ（笑）。いまだったらたぶんダメだと思うんだけど、きっと当時は甘かったんだと思うんだ」<br />
<h4>★そうかなあ（笑）。で、何やってたんですか？</h4>
「東京に行ってたの（笑）。僕、埼玉で暮らしてるのが嫌で、東京までの定期券を持ってたのね。それで秋葉原まで1時間ちょっとかかってたんじゃないかな？」<br />
<h4>★ていうか、なんでそんな定期券持ってたんですか？（笑）。</h4>
「いや、東京にほんと行きたかったんで（笑）。当時シンセサイザーとかコンピュータって東京にしかなかったのね。埼玉の楽器屋にもあったけど、触らせてもらえないとか。あと秋葉原には何かがあるっていう想いが強くあったわけですよ」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「で、家の親父って寛容だったんで、そこはちゃんと親の許諾を取って。『学校に行かないで東京に行っていいか』って言って。だから小学校に行くか秋葉原に行くかっていう毎日だったんですよ」</br>
<h4>★秋葉原ではどんなふうに遊んでたんですか？</h4>
「とにかくパソコンに触れて。あとシンセサイザー。で、“ラジオ会館”（※家電量販店ビル）っていうのが僕の想い出の場所で、秋葉原で下りたらすぐラジオ会館に行って。そこの7階に“ビットイン”っていうショップがあって、そこにもう週の半分くらい行ってたのかなあ」</br>
<h4>★へえー。</h4>
「秋葉原行くと海外のゲームもいっぱいデモプレイできるんで、ほんと朝から行って、その日の内に解いちゃうってくらいやってましたね---------でもあの頃ってやっぱり（お店の人が）やさしかったなあ。ゲームをタダで遊ばしてくれて、エンディングまで行ってもいいんだもんね」</br>
<h4>★じゃあコンピュータに興味をもったきっかけはゲームから？</h4>
「それとYMOですね。だからコンピュータ買ったのも、音楽が元々の目的なんですよ。家にヤマハのオルガンはあったんだけど、それは自動演奏できないし、なんか音質が暖か過ぎなのね（笑）。そんなのもあって、なんかその内、YMOのあの速いフレーズと電子音をとにかく何とかしたくて」</br>
<h4>★そうなんだ。</h4>
「それで親父もコンピュータに興味持ってたんで、すぐ乗ってくれて、そんな金持ちの家でもないんだけど無理して買ってくれて。で、そのNECのPC6001をオルガンの上に置いて、僕がこうスペースキーを叩くと、チッチッチッチッてカウントの後にYMOの曲がシークエンスされるわけですよ。その上で僕がオルガンでメロディーを弾くっていう---------もうなんかね、キタッ！て感じで（笑）」</br>
<h4>★ははははは！</h4>
「なんて気持ちがいいんだろう！って思って（笑）。そうこうしてる内に学校行かなくなっちゃうんだよね」</br>
<h4>★それが小6のあたり？</h4>
「はい。81年ですね」</br>
<br />
<br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c08_ttl03.gif" width="371" height="47" alt="よくレコードの針がすり切れるっていう言葉があるけど、ほんとに僕、YMOをすり切れるくらい聴いてて" /></p><br />
<h4>★もともとYMOを知るきっかけって何なんですか？</h4>
「僕は電子音がとにかく好きで。よくゲームセンターにカセット（テープレコーダー）持っていって、インベーダーゲームの音とかパックマンの音とかを録音してたんですよ。それで自分でゲーム音の編集カセット（テープ）を作ってみんなに配ったり。ただ、どうしても完璧な音が録れないんでノイズが入っちゃうじゃないですか。そんなときにYMOというバンドが78年にデビューをして、その中にコンピュータゲームの音が入ってるって聞いたのが、きっかけなんですよ」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「で、聴いたら、何のノイズもなく電子音が入っていて、しかも楽曲も素晴らしかったっていう。それがYMOの入り口で、その後はテクノポリス”（79年10月リリース）とか“ライディーン”（80年6月リリース）“がヒットして、僕もまあ一緒になって浮かれてたわけですよ。と思って、小5の終わり頃に僕は次のアルバムの『BGM』（81年3月リリース）を予約して買ったんですけど、そしたら（予想と全然違って）まったく違うバンドのアルバムになってたんですよね」<br />
<h4>★いきなり暗く重くなったよね。</h4>
「だから初めはなんか『何だこりゃ？』みたいな。誰か辞めたのかなとか、いったい何があったんだろう？って思ってて、一回目に聴いたときはあんまり好きになれなかったんですよ。気持ち悪かったし」<br />
<h4>★うんうん。</h4>
「とはいえ当時ってLP1枚買うのも高くて大変だから、割と何度も聴いてくんですけど、ていう中で『あ、これはちょっと、何かよくわかんないけど、すごい何かが潜んでるな』と思って。それでずーっと聴いてる内に異様に頭から離れなくなっちゃって、頭がおかしくなるくらいになって---------よくレコードの針がすり切れるっていう言葉があるけど、ほんとに僕、すり切れるくらい聴いてて-----------ていう中で、僕の中にあたらしい音楽に対するベースが出来るわけですよ。ナンパなことじゃなくて、わりと深いところまで初めて分かって、そういう状態が自分の中に出来たところで『テクノデリック』（81年11月リリース）が来るわけですよ。これはね、もう、一発目からキタキタッ！って感じで（笑）」<br />
<h4>★（笑）。</h4>
「もう、それが大きかったですね」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「あれだけ“テクノポリス”とか“ライディーン”がヒットしたくせに、次にこれを持ってくるなんてすごいなって。そういうやり方ってとにかくかっこいいなあって思ったわけですよ。まさか、こんな日本人がいるとはっていうか」<br />
<h4>★なるほどね。</h4>
「81年って他にもあって、僕、パソコンのプログラムのコンテストに応募したら受賞して、50数万円もらったんですよ。その賞って、高校中退した僕が社会に出られるきっかけにもなるんですけど、それも81年。あと初のスペースシャトルが上がったのも81年でしょ？　81年ってとにかくいろいろあり過ぎちゃって、僕ちょっと頭がおかしくなるくらいだった（笑）」<br />
<br />
<br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c08_ttl04.gif" width="356" height="70" alt="80年代の前半・中盤って人生が動くきっかけになるようなことがいっぱい起こって、次は何が起こるんだろうってドキドキしてましたね" /></p><br />
<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column08_main2.jpg" width="270" height="180" /></span></p><br />
<h4>★中学ではどうだったんですか？</h4>
「中学はちゃんと通ってましたよ。ただパソコンはぱったり止めちゃうんですよ」<br />
<h4>★あ、そうなんですか？</h4>
「音楽がもっと好きになって。あと、中1の文化祭で僕がパソコンを使った作品を作ったんですけど、それがね、評価がすごく悪くて、それもきっかけになって。『もう、いいや』って。僕ね、なんかちょっとナメた視点というか、そういう感じだったんですよ（笑）。『これをわかってくれないんだ』みたいな」<br />
<h4>★へえー。それで音楽の方に？</h4>
「そう。僕バスケ（ットボール）部だったんですけど、腰をひねって病院通うようになってバスケ部には行けなくなって、それでブラバン（ブラスバンド部）に無理矢理入れられたんですよ」<br />
<h4>★そうなんだ。</h4>
「実はブラバンはとにかく大きな経験で。それまでは電子音が大好きで、スピーカーに耳つけて脳が痺れるくらいの感じで聴いてたんですけど、それがブラバンに初めて行ったときに僕を乗り気にさせるために僕のために演奏してくれて。いまだに覚えているのは、虫がいっぱいいるみたいだなって思ったんですよ。クラリネットっていう虫とか、トロンボーンって虫とか、いろんな虫が合奏しているように聴こえて、こりゃちょっとおもしろいなって思って」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「それはだから、50人が楽器を持って演奏するから、スピーカーが50台あるみたいなものじゃないですか。もちろんスピーカーどころじゃない倍音も持ってるわけで。でもそれぞれの楽器は違う音が出ていて。それがけっこう衝撃で」<br />
<h4>★なるほどね。</h4>
「僕それまでまったくクラシックに興味なかったんですけど、そこからめちゃくちゃはまるんですよ。ベートーベンとかチャイコフスキーのスコアとか買ってきて、自分でそのブロック構造を解体していったり、そのサウンドの作り方を勉強していったり、エリック・サティとかバルトークとか、けっこうドっぱまって行くんですよ」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「だから中学校は完全にそればっかりですね」<br />
<h4>★高校時代は？</h4>
「高校はすぐ行かなくなっちゃって、1年生のときは授業日数ぎりぎりで、2年生に上がった途端にまた行かなくなって、で、すぐ辞めちゃったんですけど。あっと言う間ですね」<br />
<h4>★え、じゃあ高校辞めてからはどうしてたんですか？</h4>
「バイトのお金でシンセサイザー買ったり、日本中旅行してみたり。北海道に行ったら帰りのお金がなくなっちゃったり（笑）。で、そういう感じでぶらぶらしてたんですけど、こんなことやってても一生生きていけるわけないんで、その後すぐ18歳でゲーム会社に入れてもらって。それが88年。それで1年間くらいその会社で勤めて、その後はもう独立してるんで、そこからはもう忙しくて、映画も行かない、音楽も聴かない、マンガも買わない、小説も買わない、テレビも観ないっていう感じだから、インプットはゼロですね」<br />
<h4>★へえー、もう起業するんだ。</h4>
「そう、89年。19歳。ちょうどバブルの真っ直中。日本経済は平均株価が3万8千円の頃ですよ。ここは行くぞ！って。でもバブル崩壊でタイヘンな目に遭うんですけど」<br />
<h4>★ははははは。それはゲーム会社なんですか？</h4>
「ゲームの開発会社ですね。その時にはじめて行ったクライアントにいた方が、いまの任天堂の社長っていう。深いねえ（笑）」<br />
<h4>★80年代後半は、じゃあかなり激動ですね。</h4>
「ただそんな感じなんで、インプットも正直そんなになくて---------やっぱり80年代は前半、特に初めの頃ですね。だから80年代の前半・中盤って人生が動くきっかけになるようなことがいっぱい起こって、次は何が起こるんだろうなってドキドキしてましたね。いまだに覚えてるのは、ウォークマンをしてYMOの曲を聴きながら秋葉原を歩いてたら、初めて見る大きなオーロラヴィジョンにニュースが映ってて---------YMOの音楽を通したその光景を見て『これけっこう来てるな！』って思って。可能性は無限大なんだって」<br />
<br /><br /><br />
<p align="left">■<strong>80’s お宝紹介</strong><br /><br />
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column08_otakara01.jpg" alt="" width="220" height="177" hspace="5" vspace="5" align="right" />
これはYAMAHAのQX21のデータディスク｡ポップアップっ て曲が入ってる｡<br />
QX21は僕が初めて買ったシーケンサー（音源を内蔵していない）で外部シーケンサーなんですよ｡シンセにシーケンサーが付いてるなんて90年代以降だから､これを外部に接続するしか自動演奏する方法がなかったんです｡それもすごいよね（笑）｡買ったのは16歳の時で､このポップアップを作ったのは18歳の時かな？でもここに｢track 1｣｢track 2｣って書いてあるけど､全く今のｵﾚの字と変わらないね（笑）｡さっき書いたみたい､18年前なのに（笑）｡｢字は人を表す｣って言うけど､オレ成長してないのかなあ（笑）｡<br>
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column08_otakara02.jpg" alt="" width="220" height="177" hspace="5" vspace="5" align="left" />このパンフはスタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』。<br />
本公開は1968年だから、まだ僕は生まれてないんだけど、10歳のときに再公開で（映画館の）テアトル東京に親父と観に行って。この頃はほぼ毎週末、親父に連れられて映画を観に行ってましたね。普通、昔の映画ってどの映画観ても古びてるじゃない？これはいま観てもかっこいいよね。無駄なところがない。音楽も普遍的なものだし。アーサー・C・クラークの原作があったとはいえ、キューブリックは何かヴィジョンを見ちゃったんだろうね。ぶっちぎり。<br />
<br />
インタビュー：井村純平（TOKIO DROME/WISDOM)<br />
写真：松下茂樹<br /></p>
<br style="clear:both;" />]]></description>
         <link>http://thepolice.jp/column/2007/03/8080.html</link>
         <guid>http://thepolice.jp/column/2007/03/8080.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">008</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 29 Mar 2007 11:56:41 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「ドラマーとしての基礎を築き上げていった80年代」</title>
         <description><![CDATA[<div class="spB30"><h1><img src="http://thepolice.jp/column/img/name_07.gif" width="275" height="21" alt="沼澤尚（ドラマー）" /></h1></div>
<div><h2><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c07_ttl01.gif" width="360" height="51" alt="『ドラマーとしての基礎を築き上げていった80年代』" /></h2></div>

<div class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c07_ttl02.gif" width="386" height="20" alt="もう毎週末、必ず六本木にいた。朝までディスコ遊び（笑）" /></div>

<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column07_main.jpg" width="270" height="180" /></span></p>

<h4>★沼澤さんはどこで生まれ育ったんですか？</h4>
「生まれたのは新宿で、小中高、大学も、住んでたのはずっと新宿。小中高はスポーツしかやってなかった。両親がめちゃめちゃスポーツやってたから。家の親父はプロ野球の選手（※故・沼澤康一郎氏）だし、おふくろはバスケットボールのスターで、国体で優勝して最優秀選手みたいな」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「高校・大学って慶應なんだけど、高校の時は野球しかしてないもん。ただ、大学でもやってたんだけど、その時の監督が嫌で（笑）、速攻で辞めて。その頃って自分は絶対プロ野球の選手になるとしか思ってなかったし、家の親もオレはいけると思ってたの。ところが野球部辞めちゃったから親ともすげえ仲悪くなり、しかも毎週金土は六本木に友達と遊びに行きみたいな。その頃に80'sに入るのかな？大学に入って2年生のときが80年」<br />
<h4>★音楽は聴いてたんですか？</h4>
「家の兄貴が5つ上で超音楽好きだったから、小学生のときからジャクソン5とかモータウン系が大好きで聴いてて。大学の頃はだからディスコだよね。ユーロビートとかニューウェイヴの前の」<br />
<h4>★あ、ディスコ行ってたんだ。</h4>
「もう毎週末、必ず六本木にいた。朝までディスコ遊び（笑）」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「キサナドゥ（※約1年半で閉店した伝説のサーファーディスコ）とか、ネペンタとか。だから六本木スクエア・ビルだよ。ちょうどMTVが始まってPV（プロモーション・ヴィデオ）が出始めた頃だから、マイケル・ジャクソン、アース・ウィンド＆ファイアとか、その辺を映像を観ながら一緒に踊るみたいな（笑）。だからオレは古着着てリーバイス履いて、もうアメリカ人になりたい、みたいな（笑）。それが80年代のはじめ。ボズ・スキャッグス、ボビー・コールドウェル、山下達郎の音が車の中に入ってないといかん、みたいな、そういう時代」</br>
<h4>★（笑）遊び人だねえ。じゃあスポーツはやってたけど、大学時代はディスコが中心っていう（笑）。</h4>
「そうそう（笑）。もう青春はディスコだもん」</br>
<h4>★はははは。</h4>
「それで、オレは83年にアメリカ行っちゃうからニューウェイヴじゃないわけよ。そこは（いま一緒にバンドをやってるメンバー）みんなと全然違うと思うよ。音楽はだから、好きで、めちゃめちゃレコードを買って、ライヴを異様に観に行ってたっていうだけで、楽器とか何もやってないし。自分は別にミュージシャンになろうと思ったことも一度もなかったから」</br>
<h4>★そうなんだ。</h4>
「でもその頃聴いてた音楽が（いまドラマーとしての音楽性の）いちばん元になってるところあるわけ、結局。たとえばディスコで“I Wanna Be Your Lover”が初めてかかったときとか、『うわ！　何これ!?』ってDJブースに行ってターンテーブルで回ってるレコードのクレジット一生懸命見て、『“PRINCE”？　これタイトルかなあ？　アーチストかなあ？』って。で、すぐ隣にある六本木のウィナーズって輸入レコード屋に行って、それ見つけて買ってとか」</br>
<h4>★じゃあディスコも完全に音楽が目的なんだ。</h4>
「もちろんもちろん。だからそこで聴いたものをすぐレコードを買いまくってて、『これかっこいい！　なんだろう!?』って。で、その人たちがライヴで来たりすれば観に行きみたいな。そういう感じだった」</br>
<br />
<br />

<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c07_ttl03.gif" width="386" height="67" alt="そこってTOTOのドラムやってたジェフ・ポーカロのお父さんがディレクターやってた学校なのよ。で、これだ！って思って（笑）" /></p><br />

「で、そういうブラック系・モータウン系の流れもあるんだが、70'sの終わりから80'sにかけてってスタジオ・ミュージシャンっていうポジションにいる人が音楽業界でかっこいい時代だったのね。いちばんかっこいいのは、いろんなヒット・アルバムで演奏している人たち、みたいな。そういうミュージシャンが集まって作ったのがTOTOで」
<h4>★はいはい。</h4>「TOTOはめちゃめちゃ上手い人たちで、スタジオ・ミュージシャン出身だけど、自分たちのバンドもやってグラミー獲っちゃったみたいなのが、かっこいいと思ってたわけ。あとオレはドラマーがいちばんかっこいいと思っていて」
<h4>★なるほどね。</h4>「ただ、アメリカに行きたいと思ったのは82年なんだけど、それはミュージシャンになるっていうより、アメリカ、西海岸、POPEYE（※76年創刊の男性ファッション/ライフスタイル雑誌）みたいなディスコ流れのカルチャーがあったからで。TOTOも西海岸だったし」
<h4>★それでアメリカに行きたかったんだ。</h4>「でもアメリカに行くって言ってもどうしようかなってなって、じゃあドラムの学校に行くっていうことにして、みたいな（笑）。で、すごい学校見つけたのね、ロサンゼルスに。そこってTOTOのドラムやってたジェフ・ポーカロのお父さんがディレクターやってた学校なのよ。で、これだ！って思って（笑）。で、勝手に、もちろん親とかに黙ってパンフとか請求して。そのパンフとか見てるだけですげえ！とかなり、応募要項見たらカセットテープにドラム叩いてるのを録って送ってくれたら審査しますとか書いてあって。それでオレ、ドラムはおろかスティックも持ってないから、スティックを買って、レッスン本みたいなのを買って（笑）、貸しスタジオに入って練習して、カセットに録音して送ったら“合格”とか来て。お、合格じゃん！、みたいな（笑）」
<h4>★ははははは。</h4>「それで親に『オレはドラムの学校に受かったから、ドラムやりにアメリカ行ってきます』とか言って。親は『お前、何言ってんの？』みたいな。だって家の親はオレがドラムやってるなんて見たこともないし、知らないし。オレもドラマーになろうっていうより、アメリカに行きたいがために、その名目でドラムの学校に行くっていう。なんかアメリカに住んで英語がしゃべれたらいいなって思ってただけで、就職とかいつでもできんじゃない？、とか思ってて。それで大学卒業して83年に行ったの」
<h4>★へえー。でもアメリカ行った当初は英語もしゃべれないし、カルチャーショックもあるだろうし、大変じゃなかったの？</h4>「いや、楽しかったよ。だって24時間、音楽だけやってんだもん。学校楽しいし、練習すると上手くなるし、それをやってくと誉められるし（笑）。あと先生たちすごいし、自分がアルバムで聴いてた人たちが『うわっ、そこにいる！』みたいな。そんなのばっかりだったから。あとたとえばレゲエのライヴ行って、あのビートを練習しようと思ったら、そのまま12時過ぎでも学校戻ってレゲエ大音量にして練習できたわけ。毎日それだもん」
<h4>★夜中でも叩ける環境があるんだ。</h4>「すごかった。ほんと寝るだけでしか自分のアパート帰ってなかったし。むちゃくちゃ楽しかった。だから突然やりたいことが見つかったみたいな感じ。しかも一年中それなのよ。2年目からその学校の先生として教えるようにもなるんだけど、それからもあんまり変わらなかったから。80年代ってすごくそういう感じだった」<br /><br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c07_ttl04.gif" width="386" height="67"alt="87年にボビー・ウーマックのツアーバンドのドラマーでオレ初めて日本に来て演奏したの。そこで両親は初めて自分の息子がドラム叩く姿を見るわけ（笑）" /></p><br />
<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column07_main2.jpg" width="270" height="180" /></span></p><br />

<h4>★ちなみに生活っぷりはどうだったの？</h4>
「ぎりぎり。やばかった。講師始めてからもそのお金で家賃払うのがやっとだもん。だからリトルトーキョーでお米のでかいの買って、それだけ毎日食い続けるのと--------」<br />
<h4>★ははははは！</h4>
「あとインスタント・ラーメンってあるじゃない？　それをバリバリバリって食って水飲むとか」<br />
<h4>★ははははは。</h4>
「そういうのだった。粉末スープをかけて食うと旨いじゃん？」<br />
<h4>★そうかなあ？（笑）。</h4>
「だからそれよりも、とにかくいろんな人がいて、いろんな演奏できるようになってきたから、ちょっと頑張ってしばらくいてみようと思って」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「で、オーディションとかもいっぱいいって、そのうちチャカ・カーンのツアーでドラム叩けることになったり、その流れで87年にボビー・ウーマックって人のツアーバンドのドラマーに誘われて。それで、そのツアーって日本に行くツアーも入ってたの。それでオレ初めて日本に来て演奏したの。そこで両親は初めて自分の息子がドラム叩く姿を見るわけ（笑）」<br />
<h4>★へえー、すごいねえ。</h4>
「その次の年に親父は癌で死んじゃうんだけど、それは観れたんだよね。で、そのとき家の親父に『お前がドラムをやってるってところを見たこともないし、そんなもんできるのかと思ったけど、何をやりたいかはわかった』って言われて。それ、すごい覚えてるな」<br />
<h4>★それはよかったねえ。じゃあ、80年代は最初は大学生だけど、後はずっとアメリカだ。</h4>
「めちゃめちゃアメリカ。ドラムの種類は何でもやった。だから練習するのはレゲエで、でもライヴは今日はブルースで、あしたはゴスペルのミュージカルで、あさってはバラードシンガーのバックでとか------ライヴハウスがいっぱいあるからさ」<br />
<h4>★なるほどね。</h4>
「だからオレが80'sにやってたことって、今やってることの土台にはなってるけどそのまんまやってはいないよね。ドラマーとして実際に今やってること（※自身のバンドとしてシアターブルック、サンパウロ、OKI DUB AINU BANDなどで活動中）を80'sからやってきたわけでは全然ないから、そういう意味では逆によかったかも」<br />
<h4>★というと？</h4>
「だからその時に流行ってた80'sカルチャーとかアンダーグラウンドなシーンの流れにあんまりハマっていなかったので、ドラムの経験と技術を高めるっていうのが逆に出来たのかもしれないのね。だからその時、オレはニューウェイヴだってなってたら、ドラムのプレイが全然違うものになってただろうし」<br />
<h4>★なるほどね。</h4>
「だから普通はみんな最初にバンドをやろうとして、でも解散して、じゃあドラマーとしてどうしようって人の方が多いでしょ？　だって一個のバンドだけやり続けられるってほんと少ないから。それでいろんな人のバックでやり始めたりとか。オレはそれが逆なんだよね。実際日本に戻ってきてからも、いろんな人のバックで何でもやってたのが、いまバンドに絞られていって、そこが狭く深くなっていってるっていう。だからオレ、バンドしかできませんって人じゃないのに、いま自分のキャラクターを出せてるんじゃないかな」<br />
<br />
取材協力：<a href="http://greencafe.cc/" target="new">GreenCafe Saigohyama</a><br />
<br /><br />
<p align="left">■<strong>80’s お宝紹介</strong><br /><br />
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column07_otakara01.jpg" alt="" width="220" height="165" hspace="5" vspace="5" align="right" />
「ポリスはねえ、83年にオレがアメリカに行って学校が始まった一ヶ月後くらいに（LAに）“シンクロニシティ・ツアー”で来たの。そのときおもしろかったよ。オレはチケットが手に入らなくて行けなかったんだけど、友達は次の日全員ポリスのTシャツ着て学校に現れて（笑）。<br clear="all" />
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column07_otakara02.jpg" alt="" width="220" height="165" hspace="5" vspace="5" align="left" />それこそシンクロニシティ（笑）。学校中ポリスすげえ！ってことになってて。で、ポリスはその後すぐ解散しちゃうんだけど、これはそのときのツアーTシャツ。」<br />
<br />
<br /><br /><br /><br /><br />
インタビュー：井村純平（TOKIO DROME/WISDOM)<br />
<!--写真：松下茂樹<br />-->
</p>
<br style="clear:both;" />]]></description>
         <link>http://thepolice.jp/column/2007/03/80_3.html</link>
         <guid>http://thepolice.jp/column/2007/03/80_3.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">007</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 22 Mar 2007 11:41:32 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「あれは何だったんだろうって。80年代って」</title>
         <description><![CDATA[<div class="spB30"><h1><img src="http://thepolice.jp/column/img/name_06.gif" width="275" height="21" alt="川部ヒロシ（DJ）" /></h1></div>
<div><h2><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c06_ttl01.gif" width="375" height="27" alt="『あれは何だったんだろうって。80年代って』" /></h2></div>

<div class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c06_ttl02.gif" width="374" height="46" alt="中2の頃に『フラワーズ・オブ・ロマンス』が出たんですけど、そえれがいちばんの衝撃でしたね。びっくりしました" /></div>

<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column06_main.jpg" width="270" height="180" /></span></p>

<h4>★川辺くんはちょうど中高生くらいが80年代前半ですね。</h4>
「そうそう、中1が80年だから、ちょうどがっつりって感じですね」<br />
<h4>★どこに住んでたんですか？</h4>
「鹿児島ですね。高校まで。で、オレ、中3になる前の春休みに盲腸で入院してて、そのときにNHK FMでポリスの来日ライヴが放送されたんですよ。で、ソニーのクロームテープ（※高音質で録音できるカセットテープ）の90分を買って録音して--------中2でクロームテープの90分ってすごい出費だったから覚えてるんですよ（笑）。これは大切にしようと思って。いまだに聴いてますよ。すっごいかっこいいんですよ、そのライヴ」<br />
<h4>★へえー。じゃあポリスもけっこう聴いてたんですか？</h4>
「いや、そのテープばっかりで作品は全然聴いてなかったです。クラッシュもそんな聴いてなくて。ていうか、その時にはもう、PIL（※パブリック・イメージ・リミテッド。セックス・ピストルズ解散後、ジョン・ライドンが1978年に結成したポスト・パンクバンド）が『メタル・ボックス』（1979年リリース）を出してて、で、中2の頃に『フラワーズ・オブ・ロマンス』（1981年リリース）が出たんですけど、それがいちばんの衝撃でしたね。びっくりしました。それがほんとに何よりも、やられましたね。それがいまでも基本になってる」<br />
<h4>★そうなんだ。</h4>
「それまでは普通にELO（※エレクトリック・ライト・オーケストラ）とかTOTOとか（のヒットチャートを賑わせた音楽）だったんですけど、突然『フラワーズ・オブ・ロマンス』に行ったんですよ。あとポップ・グループ（※UKのポスト・パンクバンド）とか」<br />
<h4>★それはどんなきっかけで、急にそういう前衛的というかマニアックな方に行ったんですか？</h4>
「ほぼラジオの影響ですよね、（NHK FMで放送していた）『サウンド・ストリート』とかで聴いたんじゃないですかね」</br>
<h4>★じゃあ本格的に音楽に傾倒していったのはその頃？</h4>
「中2が分岐点ですね。でも入ってくる情報なんて（当時その辺の音楽を中心に扱う雑誌だった）『フールズメイト』とミニコミとラジオくらいしかないから、隅から隅まで読んで。しかも、ものすごい勘違いして、なんかよくわからないものを（自分ひとりの頭の中で）育ててたって感じですよね（笑）」</br>
  <br />
  <br />

<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c06_ttl03.gif" width="374" height="67" alt="結局、高校卒業するまで、誰も共有できる友達を見つけられなくて（笑）。ものすごい一人で悶々とした感じでしたね" /></p><br />
<h4>★じゃあ、ひたすら妄想をふくらませてたという（笑）。</h4>
「でもラジオが中心だったから、ほんと何でも聴いてましたよ、ブラコン（※ブラック・コンテンポラリー）も。PILも聴くしグローバー・ワシントンJrも聴くしって感じで。かっこええなーって（笑）。ジャンル分けとかしないじゃないですか、子供だから。それで片っ端からラジオでチェックして、引っかかるやつは全部テープに録って。それがいまだに家にあるんですけど、聴き返してみると、いまだによくぞやったって感じの良いセンスの選曲をしてるんですよ（笑）。当時何も考えないで選んでたんだけど、よくぞあっちに行かなかったなっていう」<br />
<h4>★（笑）じゃあ、中学高校のときは音楽が中心にあったんですか？ </h4>
「音楽のみ。他は何にもなかったです。と言って引きこもりってわけでもなく、友達とはわいわいしてるんですけど、そん時はPILの話とか一切なく、RCサクセションくらいからようやく話が合うくらいで（笑）。結局、高校卒業するまで、誰も共有できる友達を見つけられなくて（笑）。ものすごい一人で悶々とした感じでしたね」<br />
<h4>★でもバンドやってたりロック好きなやつっていっぱいいたでしょ？</h4>
「いないです。いても浜省（※浜田省吾）とかですから。この世には居ないのかなって思ってました（笑）」<br />
<h4>★（笑）ちなみに邦楽も聴いてたんですか？</h4>
「聴いてましたよ。RCとかルースターズとか、あとインディーズものですよね。スターリンとかEP-4とかじゃがたらとか。高円寺のレコード屋さんが通販とかやってたんですよ、それで買ってましたね。なんかリスト送ってくれって言うと、いまでいうアダルトDVDのカタログみたいにレコードがびっしり入ったようなやつを束にして送ってくれるんですけど、それ見てるのがほんとにうれしくてねえ」</br>
<h4>★（笑）。</h4>
「こんなにいっぱいあるのかあ！って（笑）。よだれ垂らしながら見てましたよ」</br>
  <br />
  <br />

<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c06_ttl04.gif" width="374" height="91" alt="会社辞めたら意外と退職金出たんで、それでターンテーブルとミキサー買って。あとはもうレコードを買うのみって感じになるんですけど（笑）" /></p><br />
<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column06_main2.jpg" width="270" height="180" /></span></p><br />

<h4>★東京に出るのはいつ頃なんですか？</h4>
「高校卒業して18歳で就職したときですね。まず東京のクラブで普通にポスト・パンクとかが流れてるのを聴いて、ほんと衝撃でしたね。こんなに居るんだ！　そしてこんなに盛り上がるんだ、この曲で！、とか思って（笑）。えっらいことだなあと思いましたね」<br />
<h4>★（笑）どんなクラブに行ってたんですか？</h4>
「当時遊びに行ってたのは、クラブDとか玉椿とかツバキハウスのロンドンナイトって感じでしたけど、19の時に（西麻布の交差点近くにクラブ）ピカソができたんですよ。そこにも衝撃を受けて。もうずっと行ってましたね。もう狭くて、いつもパンパンで、音も悪いんですけど、でもかかってる曲がもう一曲もダサイのがないっていう」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「だから、クラブDとかだと、ニューウェイヴがかかるまでにユーロビートとかディスコがかかって------いまだったらユーロとかディスコとかも楽しめるんですけど（笑）、当時はもっととがったのをくれって感じだったんで、ニューウェイヴがかかると踊って、それまでは待ちって感じだったのが、ピカソでは全部それっていう。あとは、そこで出始めのラップとかダンスホール・レゲエとかも混ぜてかけてて、『何これ!?　このドラムと声だけの音楽、何!?』みたいな。だって最初に聴いたのがクラブだから、全身包まれるように聴いてるわけじゃないですか。あんなの爆音で聴かないと意味ないじゃないですか。あれなんかほんとに、何なんだこれは!?って感じですよね。もうあり得ないと思って」<br />
<h4>★へえー。</h4>
「それで、初めてそこで話の合う友達ができて。DJもブースの前でずっと見てこうやってやるんだって知って。それで会社辞めたら意外と退職金出たんで、それでターンテーブルとミキサー買って。で、そのまま（下北沢のマニアックな中古レコード店）“フラッシュ・ディスク・ランチ“でバイト始めたんで、あとはもうレコードを買うのみって感じになるんですけど（笑）」<br />
  <br />
  <br />

<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c06_ttl05.gif" width="374" height="46" alt="だから怖いですよね。ひとつのセンスが人生を変えてしまいますよ、ほんとに（笑）" /></p><br />
「あとフラッシュで働き始めた頃ってレア・グルーヴ・ブームみたいなのが起きましたから、もうタイヘンでしたよ、許容量を超えちゃって（笑）。いわゆる名盤みたいなのを高く売っていたレコード屋が慌てるというか、100円コーナーで売ってたレコードが急に価値をもつみたいな。クズみたいなものが急に宝になってしまうってときにちょうど働いてたんで、だからおもしろかったですよね。パラダイム・シフトみたいなことが起こった感じですよね。それが痛快でしたよ」<br />
<h4>★音楽の聴き方が変わったのかな？</h4>
「うん。スタジオミュージシャンのドラムのソロ・レコードが急に光り輝くみたいなさ。なんで？って聴くと、『ここの16小節がすごくかっこいいから』とか（笑）。何その聴き方!?って（笑）」<br />
<h4>★ははははは。</h4>「ブレイクビーツっていう考え方ってそういうことなんだってびっくりしたし、その後テクノが出てきたり、アシッドジャズもあったし、GO-GOもあったし、日々どんどん出てきて、そこでまた音楽のあたらしい地平を見せつけられて『え？こんなにまだ広いの!?』って途方に暮れるって感じですよ（笑）」<br />
<h4>★はははは。</h4>「『いやー、登り詰めたなあ』とか思ってたのに全然もう一段階あって（笑）、うわーって感じですよね。そうやってアワアワしてる間に今に至るみたいな（笑）」<br />
<h4>★（笑）じゃあ金の使い道はもっぱら音楽という？</h4>「そうですね、いまだに。他ないんですよね。車の免許も持ってないし」<br />
<h4>★はははは。じゃあその辺からDJも始めて------。</h4>「後は普通にいまに至るって感じですよ。そっからのストーリーはなんもおもしろくないです（笑）。やっぱり21ぐらいまでが人間の基礎を形成するんでしょうね。でもほんと誰も友達もいなかったのに、なんでそっちの音楽をひたすら選んでたのか、いまだに不思議ですよ」<br />
<h4>★でもそれがいまの川辺くんのスタイルにちゃんと繋がってるわけだからね。</h4>「だから怖いですよね。ひとつのセンスが人生を変えてしまいますよ、ほんとに（笑）」<br />
<h4>★じゃあ80年代を総括すると、川辺くんにとってどんな時代だんですかね？</h4>「いや、総括できないですよね、いまだに（笑）。あれは何だったんだろうって。いわゆる80年代って言われて思い浮かぶものじゃないところに居たから、余計にね。パンクに間に合わなくて残念だったなって思ったこともあったし、ジミヘンにも間に合ってないし、わりとぽっかりした何もない時期に育ったみたいなことをずっと言われてたけど、いま考えたらすげえいろんなことがあったなって（笑）。当時は何も間に合ってないなって思ってたんだけど、いま考えたら、すげえいい時代を過ごしたなって思いますよ」<br />
<br /><br /><br />
<p align="left">■<strong>80’s お宝紹介</strong><br /><br />
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column06_otakara.jpg" alt="" width="200" height="200" hspace="5" vspace="5" align="right" />
インタビュー中にも出てくる、川辺くんが中学2年当時に最初に衝撃を受けたアルバム。パブリック・イメージ・リミテッド（PIL）の1981年リリースの傑作『フラワーズ・オブ・ロマンス』。PILはセックス・ピストルズ解散後、ジョン・ライドンが1978年に結成したポスト・パンクバンドで、このアルバムでは打楽器による怒濤のリズムにジョンの呪詛的なヴォーカルがからみつく唯一無比のグルーヴが展開していく。圧巻！<br /><br /><br />
インタビュー：井村純平（TOKIO DROME/WISDOM)<br />
写真：松下茂樹<br /></p>
<br style="clear:both;" />]]></description>
         <link>http://thepolice.jp/column/2007/03/80_2.html</link>
         <guid>http://thepolice.jp/column/2007/03/80_2.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">006</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 15 Mar 2007 11:53:16 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「82年に東京で、ニューヨークっぽいクラブ　ピテカンを始めたんだ」</title>
         <description><![CDATA[<div class="spB30"><h1><img src="http://thepolice.jp/column/img/name_05.gif" width="275" height="21" alt="中西俊夫（ミュージシャン/アーティスト）" /></h1></div>
<div><h2><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c05_ttl01.gif" width="375" height="51" alt="『82年に東京で、ニューヨークっぽいクラブピテカンを始めたんだ』" /></h2></div>
<div class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c05_ttl02.gif" width="362" height="70" alt="一気に枠が拡がって制限がまったくなくなってノー・ルールーになったって感じ。それが80年代のおもしろいところだよね" /></div>

<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column05_main.jpg" /></span></p>

<h4>★トシさんは80年で24歳くらいですね。</h4>
「ちょうど80年がプラスチックスのデビューだね。正確に言うと79年に（イギリスのインディーズ・レコード・レーベル）ラフ・トレードから（シングル『COPY／ ROBOT』が）出てるけど。でも結成は76年だから、下積みが3年くらいあって」<br />
<h4>★当時はどんな音楽に影響を受けてたんですか？</h4>
「プラスチックスの結成当時はまずパンクから影響受けてるんだけれども、デビューした頃はもう4〜5年経ってるわけで、ポスト・パンクとかニューウェイヴになってますよね」<br />
<h4>★その頃にニューヨークに行ったんですか？</h4>
「その前にもちょこちょこ行ってたんだけど、どっぷりいったのは80年にプラスチックスのワールドツアー終わった後。そのまま8カ月くらいニューヨークにいました」<br />
<h4>★へえー。その頃のニューヨークは音楽的にどうでした？</h4>
「なんでもありだったからおもしろかったですよ、あの頃のニューヨークは。実はパンクって音楽的にけっこう制限されてるところがあったけど、ニューウェイヴになってから、それこそポリスが出てきたように、テクニカルにも大人受けするバンドが出てきたり---------プリテンダーズとかトーキング・ヘッズとか。あとラウンジ・リザーズはジャズやってるわクラウス・ノミはオペラやってるわで、一気に枠が拡がって制限がまったくなくなってノー・ルールになったって感じ。パンクの衝動がニューウェイヴって形になって間口が広くなって、それが80年代のおもしろいところだよね。アティテュードが変わったっていうか」<br />
<h4>★ なるほど。ちなみにプラスチックスはアメリカでもライヴをやってたんですよね？</h4>
「意外とまじめにやってましたよ-------アメリカは50カ所とかまわってるし、イギリスはもちろんヨーロッパもまわってるし、そういうツアーを3回くらいやってるから。アメリカツアーはトーキング・ヘッズとB-52'sと途中まで一緒にまわって、それからはプラスチックス単独でニューオリンズとかテキサスまで行ってたり」</br>
<h4>★あれ？　プラスチックスって81年に解散ですよね。 </h4>
「うん、デビューして2年くらいで解散しちゃう」</br>
<h4>★それでそんなにツアーまわってたんですか？ </h4>
「だから燃焼し過ぎ？（笑）。でもあんだけちゃんとツアーしてたバンドは当時日本ではなかったんじゃないかなあ。YMOもやってたけど大都市ばっかりでしょ」</br>
<h4>★じゃあ、その2年くらいで燃焼し尽くしちゃうっていう。</h4>
「そうだね。でも毎日ヘンなことがいっぱいあって、おもしろかったですよ」</br>
  <br />
  <br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c05_ttl03.gif" width="362" height="70" alt="80年代になると俄然ニューヨーク勢の方が元気よかったね。みんなお金がなくても、ないところで工夫して、おしゃれして、音楽もやって" /></p><br />
<h4>★ちなみにポリスは聴いてました？</h4>
「聴いてましたよ。やっぱりニューヨークの友達がファーストアルバムをくれたりして。ニューウェイヴってことで髪の毛逆立てて出てきたけど、実は楽器がすごくうまくて、全然パンクじゃないじゃんっていう（笑）。そこがおもしろかったんだけどね。『ゼニヤッタ・モンダッタ』くらいまで聴いてたかなあ。好きでしたよ。ただ“ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ”ってあの曲で一気に冷めて（笑）。あれでドン引きして、その後は知らない（笑）」<br />
<h4>★（笑）その頃どんな音楽を中心に聴いてたんですか？ </h4>
「僕はねえ、プリンスとかマイケル・ジャクソンとかファンカデリックとか。（トーキング・ヘッズの）デビッド・バーンの家行ったらプリンスの『コントラバーシー』ががんがんかかってたりしたから、その影響もあって。マイケル・ジャクソンは『オフ・ザ・ウォール』の頃で、（セックス・ピストルズ / P.I.Lの）ジョニー・ロットンが『今年最高のアルバムだ』っていうから、じゃあ聴いてみようって買ってきて（笑）。あとアフロが流行ってきてて、やっぱ民族っぽい、アフリカとかそっちの方向に目が向いてた」<br />
<h4>★へえー。じゃあ遊びに行くのはやっぱりクラブとか？</h4>
「“マッドクラブ”とか“CBGB”とか“ペパーミントラウンジ”（というライヴハウス / クラブ）がすごくおもしろくて。その辺は味も素っ気もないコンクリートのハコなんだけど、でも来てる人たちがおもしろいっていう感じ。そういうとこにミック・ジャガーもボブ・ディランも来ちゃうっていう。あと（巨大なナイトクラブ）“Ritz”っていうところがあって、そこでクラフトワークやったりイギー・ポップやったりして--------僕たちもRitzでやってるから顔パスになってて、で、ちょうどRitzの角に住んでたから毎晩のように行ってましたね。そうするとデビッド・ボウイとカトリーヌ・ドヌーブが来てたりとか、あとキース・リチャーズとパティ・ハンセンが朝の4時頃にゴミ箱漁ってたりとか（笑）」<br />
<h4>★ははははは。</h4>
「何やってるんだろ、この人みたいな（笑）」<br />
<h4>★すごいなあ。</h4>
「77年は（パンク・ムーヴメントが起こった）ロンドンだったけど、その後80年代になると俄然ニューヨーク勢の方が元気よかったね。ニューヨークのダウンタウンの熱気はすごかった。いまみたいに3000ドルのバッグを持つのがかっこいいっていう、そういう価値観じゃなかったから、みんなお金がなくても、ないところで工夫して、おしゃれして、音楽もやって」</br>
<h4>★なるほどね。</h4>
「たとえば音楽的にも70年代って前半はテクニック至上主義だったし、後半はパンクでポリティカルだったけど、80年代はノンポリでもっとアートっぽいっていうか。特に僕はニューヨークの磁力が強い時期にいたから、いい時にいい場所にいたって感じだね」<br />
<h4>★しかもニューヨークのいちばんおもしろい人たちがまわりにいて。</h4>
「うん。（27歳で死去したニューヨーク生まれの画家）ジャン・ミッシェル（・バスキア）も、普通に僕の前のガールフレンドの新しい彼氏みたいに紹介されて、全然最初は何者だかわかってなくて（笑）。でも行くとこ行くとこ友達の家にジャン・ミッシェルの絵があってさ、それでへえーって。だから過去を美化してるわけじゃなくてさ、ほんとにおもしろかったんですよ（笑）」</br>
  <br />
  <br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c05_ttl04.gif" width="362" height="70" alt="バスキアもキース・へリングも日本来たときはピテカン寄ってくれて落書きとかしてくれて。そういう意味ではニューヨークっぽい雰囲気が漂ってた" /></p></br>
<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column05_main2.jpg" /></span></p><br />
「ニューヨークから東京に帰ってきて、82年に桑原茂一と“ピテカントロプス・エレクトス”ってクラブを始めるんだけど。当時けばけばしいディスコばっかりでニューヨークっぽいクラブはないねって話になって。そういう場所を作ってみんなに来てもらってクラブ体験をしてもらおうってコンセプトで始めたのがピテカンですね。なんでもできるギャラリーみたいなスペースでもあり、和食も食べれたりとか、カフェバーのはしりみたいな感じでもあるんだけど。ただ僕たちがプロじゃなかったから。水商売のね。だから潰れちゃうんだけど」
<br />
<h4>★はははは。</h4>
「（笑）試みとしてはおもしろかった。でも当時のオーナーは『どうせ1999年にノストラダムスで世の中終わるんだから、いいんだー！』みたいな感じで借金しまくって作って（笑）」<br />
<h4>★ははははは。</h4>
「そのくらいの勢いでやっちゃったからねえ（笑）。でもバスキアもキース・ヘリングも日本来たときはピテカン寄ってくれて落書きとかしてくれて。そういう意味ではニューヨークっぽい雰囲気は漂ってたんじゃないですかね」<br />
<h4>★なるほど。</h4>
「あとピテカンっていうプレイグラウンドがあったから、（81年に佐藤チカと結成したユニットの）MELONにしろ、WATER MELONにしろ、好き放題やらせてもらってたし、そこでおもしろい試みはいっぱいできたよね。あとミュートビートとかショコラータとか東京ブラボーとか日本のバンドともあそこで交流が持てたし」<br />
<a name="c10"></a>
<h4>★ちなみにピテカンっていつ頃まで続いたんですか？</h4>
「うーんと、84年かなあ。2年くらいで終わったと思うんだよね」<br />
<h4>★あ、そんな短いんですか。でもあの頃スネークマンショーとかで、ブラックジョークの世界とニューウェイヴもクロスオーバーしてましたよね。</h4>
「そうだね。やっぱユーモアがないとつまんないじゃないですか。だからニューヨークがポエティックだとすると、日本はユーモアで対抗したって感じかもね」<br />
<h4>★ちなみにその頃にまたニューヨークに行ってるんですか？</h4>
「行ってるけど、もうヒップホップだから行くところが違うじゃない。クイーン・ラティファのライヴ観にハーレムの方まで行くとか。だからニューヨークの80年代前半と後半って、まったく違うんですけどね。後半になるとヒップホップになって、どんどんどんどん街が危険になっていって、ほんと怖い雰囲気だったよ。だからおもしろかったんだけど（笑）。それで僕も今度は“メジャー・フォース”（というレーベル）を立ち上げてヒップホップになっていくんだけど」<br />
<h4>★なんかもう、トシさんの80年代って世界中でとことん遊びまくってた感じですね（笑）。</h4>
「だって僕、35歳くらいまで毎晩遊んでたもんね」<br />
<h4>★ははははは。</h4>
「やっぱそれくらいから体力的にきつくなったけどね。でもタイムマシーンがあるならもっかい（あの頃のニューヨークに）行きたいよね」<br />
<br />
<br />
<p align="left">■<strong>80’s お宝紹介</strong><br /><br />
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column05_otakara01.jpg" alt="" width="240" height="160" hspace="5" vspace="5" align="right" />
「81年頃にバスキアに会った頃に、誰がヒップホップのMCでいいとか、どのレコード買ったらいいとか聞いてて、そしたらスプーニーGがいいとか、グランドマスター・フラッシュ&フューリアス5がいいとか、（レーベルだと）エンジョイ・レコードがいいとか、その時いろいろメモってもらったんですよ。それがこれですね。だからその頃にもうヒップホップの種はまかれてたんだよね」<br />
<br />
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column05_otakara02.jpg" alt="" width="240" height="160" hspace="5" vspace="5" align="left" />
※もう一つの写真はインタビュー中に出てくる、今は無き伝説のクラブ“ピテカントロプス・エレクトス”で使われていたコースター。超貴重！<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
インタビュー：井村純平（TOKIO DROME/WISDOM)<br>
写真：松下茂樹<br /></p>
<br style="clear:both;" />]]></description>
         <link>http://thepolice.jp/column/2007/03/82.html</link>
         <guid>http://thepolice.jp/column/2007/03/82.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">005</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 08 Mar 2007 11:28:32 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「80年代は僕に遊びを教えてくれた基本の時代」</title>
         <description><![CDATA[<div class="spB30"><h1><img src="http://thepolice.jp/column/img/name_04.gif" width="275" height="21" alt="高城剛（映像作家/DJ）" /></h1></div>
<div><h2><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c04_ttl01.gif" width="222" height="53" alt="『80年代は僕に遊びを教えてくれた基本の時代』" /></h2></div>
<div class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c04_ttl02.gif" width="377" height="43" alt="ディスコはいつもゲストで入ってました。ていうか16歳じゃゲストじゃなきゃ入れないから（笑）" /></div>

<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column04_main.jpg" /></span></p>

<h4>★高城さんの80年代って高校生くらいからですよね？</h4>
「中3くらいかな。まず僕は当時、ニューウェイヴ・ロックみたいなバンドをやってました。時代はパンク、ニューウェイブだったんですよ、まさに（笑）。僕は音楽が好きでずっと聴いていて、中3の時点でレコード1000枚は持ってて、週に3回は渋谷の（レコード屋さん）CISCOに行っていて、その下（の階にあった吉野屋）で牛丼食って帰るっていう高校生だったんですけど」<br />
<h4>★（笑）その頃はどこに住んでたんですか？</h4>
「当時は池袋ですね。バンドメンバーと住んでました」<br />
<h4>★へえー。じゃあ高校時代はもっぱらバンドが中心？</h4>
「バンドとサーフィンですね」<br />
<h4>★あの頃サーフィンも盛り上がってましたよね。</h4>
「すごい盛り上がってた。70年代後半から80年代頭まで。ファッション・ブランドも“タウン・アンド・カントリー”とか“ライトニング・ボルト”とか、当時いっぱいありましたよ。だからライトニング・ボルトのTシャツ着て、レインボーサンダル履いて江ノ島行ってましたよ、車でみんなで」<br />
<h4>★（笑）音楽はどんなの聴いてたんですか？</h4>
「ロック、AOR、ニューウェイヴですね。全部ぐちゃぐちゃに。まだ70年代のロックもあって、ブリティッシュもアメリカンも。パンクもイギリスから来て、ニューウェイヴも来ていて、そういう時代でしたね。まさにあたらしい80年代が来るぞっていう。もちろんポリスもその中から聴き始めて。ディスコでもかかってたよ、“孤独のメッセージ“とか」</br>
<h4>★そういえばディスコでかける用の12インチシングルとか出始めた頃ですよね。 </h4>
「いまでもいっぱい持ってるよ、昔の12インチ。70年代終わりから80年代頭までって大ディスコブームだから、僕も行ってましたよ、六本木とか。16歳くらいのオレは、だからいつもゲストで入ってました。ていうか16歳じゃゲストじゃなきゃ入れないから（笑）。中学生から遊んでたからね、ディスコで。サーファー系は六本木の“ナバーナ”ってディスコで、ニューウェイヴ系は新宿だったんですよ。で、月曜の夜に“ニューヨーク・ニューヨーク”ってディスコでニューウェイヴ系のパーティーがあって。なんで月曜かっていうと、それは月曜火曜が美容師が休みだから（笑）。それで金土はサーファーの友達と遊んで、月火はニューウェイヴ系の友達と遊んで、しょうがないから残りの水木はパチンコ屋っていうのが、だいたいオレのウィークリーのサイクル（笑）」</br>
<h4>★でもサーファーとニューウェイヴじゃ、ノリが違ってませんでした？</h4>
「違うけど、それもそんなに悪くなくって。当時の新宿と六本木のミーティングポイントって渋谷で、“スターウッズ”っていうでかいディスコがあったんだけど、そこに集まるのはサーフィン・カルチャーとニューウェイヴ・カルチャーのミーティングポイントに居る人たちで、パンクなところも押さえてて、あの辺の人たちと遊んでましたね」</br>
  <br />
  <br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c04_ttl04.gif" width="377" height="43" alt="ゴドレー＆クレームっていう有名なビデオのディレクターがいて、僕は彼らにはまるんですよ、すごく" /></p><br />
<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column04_main2.jpg" /></span></p><br />
「1980年の7月にMTVが始まるんですよ。日本だと『ベスト・ヒットUSA』も始まって、音楽に映像がつくのが当たり前になって、それで17歳くらいから僕、ミュージックビデオとか映像にハマルんですよ。だから82〜83年？それから自分のバンドのビデオ撮り始めたりして」
<br />
<h4>★へえー。</h4>
「特にゴドレー＆クレームっていう有名なビデオのディレクターがいて、僕は彼らにはまるんですよ、すごく。元々10CCってバンドのミュージシャンで、それから映像作家になった人で。音楽だけではなくて、映像に行ったりコンピュータに行ったりどんどん進んでいくんですよ。まさにその系譜を僕も辿ってるんですけど。で、ポリスの曲も撮っていて、“アラウンド・ユア・フィンガー”もそうだし“エブリ・ブレス・ユー・テイク”もそうだし、ポリスはいっぱい撮ってる。そのビデオクリップもすごいんだけど、ライヴのビデオもよくて。このDVDにもなってる『シンクロニシティー・コンサート』もゴドレー＆クレームなんですけど、映像もライヴのお客を切り抜いたり、当時としては斬新なことをいろいろやってる。あとすごいのが、とにかく彼らに仕事頼むときは、予算無制限っていう」<br />
<h4>★（笑）。 </h4>
「そのセリフは未だに僕は言ったことありませんけどね。『オレに頼むなら予算はないと思え』って一回言ってみたいんだけど（笑）」<br />
<h4>★ははははは。ちなみにゴドレー＆クレームのどこにそんなに衝撃受けたんですか？</h4>
「“アラウンド・ユア・フィンガー”のハイスピード・カメラで撮影したやつなんて彼らの典型だと思うけど、絵コンテ描いたってわからない気持ちよさみたいなのを追求してるわけですよ。絵コンテでわかるものってつまんないんだよ。彼らって予算は無制限、絵コンテはなし、でもオレに任せろ的な感じじゃない（笑）。“アラウンド・ユア・フィンガー”なんてもしコンテの話聞いても『立ってるろうそく倒すんですよ』で終わりじゃん（笑）。他何にもないわけじゃん（笑）」<br />
<h4>★たしかに（笑）。</h4>
「それで18くらいから僕は本格的に映像に傾倒していくんですよ。それでアメリカ行ったりして」<br />
<h4>★高校と大学の間にアメリカがあるんですか？</h4>
「そう。半年くらいうろうろ。放浪者みたいな生活して。で、帰ってきて、大学に二十歳で入って、24歳で大学出るわけじゃん？その辺がちょうど80年代後半なんだけど、僕は86〜87年くらいからもうコマーシャルの監督やってましたよ。ニューヨークにロケとか行ってたもん。それで夜な夜な遊んで、ニューヨークでは当時パラダイスガレージっていうクラブがあって、そこでハウスにはまるんですよ」</br>
  <br />
  <br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c04_ttl03.gif" width="377" height="43" alt="80年代は僕に遊びを教えてくれた基本の時代ですよね。街のルールを教えてくれたよね" />
</p>
</br>
<h4>★すごい、パラダイスガレージに行ってたんですか？　</h4>
「行ってたんだよ。もうこれじゃん！って思って。とにかくカルチャーシーンとしておもしろかったんで、もう頻繁にニューヨーク行ってましたよ。ラリー・レヴァンとかと仲良くなって、DJブースにも入れてもらってたし。あとおもしろいパーティー行ったらアンディー・ウォーホールとかキース・ヘリングとか普通に居るわけじゃん？興奮するよね。うおー、すげえところにオレ居るなあみたいな。それですっかり舞い上がっちゃって（笑）、これはオレもいけるんじゃないかみたいな（笑）。世の中バブルだったし（笑）」<br />
<h4>★（笑）。</h4>
「そうやって80年代は遊び倒してたんですけど………でも、バブルが崩壊したんですよ、90年代の頭に」<br />
<h4>★ははははは。</h4>
「それからこれは働かないとまずいぞと思って、ドラマとか撮りはじめるんですよ。それまでは遊んでた、いまもそうだけど。いま景気いいじゃん？だから働かなくていいんだよ。でもそろそろ悪くなりそうじゃん？そろそろ働こうかなっていう（笑）」<br />
<h4>★はははは。じゃあ高城さんにとって80年代ってどんな時代だと思いますか？</h4>
「僕に遊びを教えてくれた基本の時代ですよね。街のルールを教えてくれたよね。それは僕の場合、それは当時のニューヨークで。たとえばいいパーティーってフライヤーとかない。メディアにも載らない。でもいいパーティーに行くとアンディー・ウォーホールとかキース・ヘリングがいたわけですよ。そういういいパーティーがたまにあるんですけど、絶対に表には出てこない。そういう情報をどう入手して、そのパーティーにどう入るかっていう街のルールってあるじゃないですか。そういう偉い人たちと仲良くなって、どうやってコミュニケーションとっていくかっていう街のルールみたいなのを80年代は僕に教えてくれましたよね。いまももちろんあると思うけど、少なくともそれがインターネットではないことは確かだな」<br />
<h4>★なるほどね。</h4>
「あの時代って戦争もないでしょ？インターネットができるちょっと前でしょ？だからいまみたいに荒れてないし。インターネットの世界が荒れてしまったんで、だから僕みたいな人はそれを遠ざけてしまってるけど。だって全然おもしろくない。どきどきしない」<br />
<h4>★たしかにそうですね。</h4>
「正直社会全体が行き過ぎたんだと思う。インターネットもそうだけど、テクノロジーが行き過ぎてしまったところから、もうちょっと前のシステムに戻っていいんじゃないかな。バック・トゥ・80'sなカルチャーが世界的にいま大きいのも、もしかしたらシステムは80'sでちょうどいいのかもねっていうことをいま検証し直してるんじゃないですかね。だからポリスの再結成はすごく意味があると思う。もう一回ポリスの映画を観て80年代のお作法を学ぶっていうのは、非常に意味があることだと僕は思いますね」<br />
<br />
<br />
<p align="left">■<strong>80’s お宝紹介</strong><br /><br />
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column04_otakara.jpg" alt="" width="240" height="180" hspace="5" vspace="5" align="right" />
80年代のお宝を持ってきてくれってことで、今日持ってきたのは『シンクロニシティー・コンサート』のベータビデオの未開封（※ベータはビデオの規格の名称。VHSとの激しい市場競争に敗退し、市場から姿を消している）。当然開封したのも持ってるしDVDも持ってるんだけど、僕は基本的にオタクなんで、未開封のものとかいっぱい持ってるんですよ（笑）。それ持っててどうする!?ってとこもあるんですけど（笑）、でもほんとに昔から好きなんです（笑）<br />
<br />
<br />
インタビュー：井村純平（TOKIO DROME/WISDOM)<br>
写真：松下茂樹<br></p>
<br style="clear:both;" />]]></description>
         <link>http://thepolice.jp/column/2007/03/80_1.html</link>
         <guid>http://thepolice.jp/column/2007/03/80_1.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">004</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 01 Mar 2007 11:32:45 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「学生だった８０年代に受けた大き過ぎる２つの衝撃」</title>
         <description><![CDATA[<div class="spB30"><h1><img src="http://thepolice.jp/column/img/name_03.gif" width="275" height="24" alt="DJ Tsuyoshi" /></h1></div>
<div><h2><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c03_ttl01.gif" width="254" height="52" alt="『学生だった80年代に受けた大き過ぎる2つの衝撃』" /></h2></div>
<div class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c03_ttl02.gif" width="398" height="19" alt="とにかくYMOがすべてだったから、小6から中3までずっと" /></div>

<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column03_main.jpg" /></span></p>

<h4>★まず生年月日を教えてください。</h4>
「1967年11月26日です」<br />
<h4>★そうすると80年代は13歳からかな？</h4>
「たしかオレが中学一年のときに、もう人民服（ファッション）だったから---------」<br />
<h4>★ははははは。</h4>
「YMOの“テクノポリス”ね。小学校6年くらいからそんな感じだったから、もう中学時代はYMOにどっぷりでしたよ。いま実家帰って写真見ると、もうテクノカットしてたもんね、中学2年で」 <br />
<h4>★へえー。 </h4>
「青梅のど田舎で何やってんだってまわりに言われたけど、同じ不良扱いされましたね。ツッパリもテクノも同じみたいな」<br />
<h4>★（笑）ずっと青梅なんですか？ </h4>
「小学校、中学校と青梅市で、高校から都内の高校に通って。日大鶴ヶ丘ってところですけど。大学はそのまま日大芸術学部で、この辺までが僕の80年代なんじゃないですか？　22歳くらいまで」</br>
<h4>★中学・高校・大学、全部で80年代だ。 </h4>
「だから計り知れない影響力があるよね。実は僕の親父は元プロ野球選手だったから、小さい頃から野球漬けにもなってたんですけど、反面、やっぱり中学の時にYMOに影響を受けて。気が付かない内に夢中になってたって言うか、あれこそはまってたって感じでしたね。とにかくYMOがすべてだったから、小６から中3までずっと。家のふたつ上の兄貴もYMOにはまってて、その存在がすごく大きくて。シンセサイザーって楽器を生で弾いて初めて聴かせてくれたのは彼なんですよ。そのときの衝撃はでかかった！」</br>
<h4>★その頃シンセ持ってるって、けっこうすごいことだったよね。 </h4>
「そうそう。もう生で聴いてびっくりして、その頃から音楽を意識して聴きはじめましたね。YMOのインタビューも全部隅から隅までチェックして、その言動からクラフトワークを知ったし、ニューロマンチックスとかUKの音楽シーンを知ったのもYMOのおかげだし、横尾忠則とかアートとかいうものも知ったし、そこからばーっと拡がっていったんだよね」</br>
<h4>★なるほどね。 </h4>
「細野さんがインタビューで『僕はいまビデオに興味があって』って言ってたから、それで映像に興味持ち始めて、それがナム・ジュン・パイクとか現代芸術のビデオアートにも拡がって、そんなのもあってオレは映像でやっていこうかなって思って中学の時から自分は日芸（日本大学芸術学部）に行くんだって決めてたし、だから日大の附属高校にも行ったし、実は全部計算通り（笑）。実際その通りになっちゃったからびっくりしたんだけど（笑）」</br>
<h4>★YMOで進路まで決まったんだ？ </h4>
「そうそう。とにかくYMOみたいになりたい、アーティストになりたいっていうのが夢だったよね。それが自分の人生の中の第一回目の衝撃でしたね」</br>
  <br />
  <br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c03_ttl03.gif" width="366" height="67" alt="学生服に坊主でモロ野球部って格好なんだけど（笑）、オレひとりでネ眠い目こすって六本木のシネヴィヴァンに実験映画とか観に行ってましたよ" /></p><br />
<h4>★ちなみに野球も続けてるんだよね？</h4>
「中学、高校と野球部でしたよ。高校野球は甲子園行きそうになったもんね」 <br />
<h4>★丸坊主？ </h4>
「高校は丸坊主、丸坊主。テクノカットしながら丸坊主（笑）」<br />
<h4>★ははははは。でも野球部の練習って厳しかったんでしょ？</h4>
「甲子園出てる高校なんで部活も本格的で、練習の量も半端じゃなかったですよ。厳しいし部員の数も超多いし。でも僕はベンチ入りしましたよ。で、それをやりながらも、プラス、アートとかもすごい好きで、バンドもやりたくてしょうがなくて。だから野球部の練習ですっごい疲れてるんだけど、オレ一人で六本木のシネヴィヴァン行ってさ」<br />
<h4>★ははははは。</h4>
「学生服に坊主でモロ野球部って格好なんだけど（笑）、オレひとりで眠い目こすってシネヴィヴァンに実験映画とか観に行ってましたよ。もちろん野球部の中にそんな話できるやつなんていないし。だから野球部の中でオレだけ『早く引退してえ』ってずっと言ってた（笑）。3年の夏に負けたらもう終わりでしょ？　そりゃ甲子園目指して頑張ってるんだから、負けたら悔しいんだけど、オレだけ心の底で『早く負けろ〜。負けてあしたからオレはバンドやるんだ！』って（笑）」<br />
<h4>★はははは。</h4>
「あと当時は日本のインディーズバンドにすごく優れたバンドがいっぱいいたから、ライヴハウスに観に行ったりとか」</br>
<h4>★ライヴハウスも行ってたんだ？　よくそんな厳しい練習の後にいろいろ行けたねえ。</h4>
「練習終わったらとにかくひとりでぱあーっと帰ってたね。ライヴハウスもひとりで観に行ってた。サディサッズとか町田町蔵とかじゃがたらとか。新宿ロフトとか渋谷のライヴインとか吉祥寺のバウスシアターとか行ってましたねえ」</br>
<h4>★ライヴハウスはおもしろかったよね。</h4>
「とにかく東京のYMOまわりの音楽シーンがかっこよすぎてさ。ニューウェイヴ一色だったね。そういう憧れの部分から、高3で野球部引退してから今度は自分たちでもバンドをやるようになって、いつしか自分もこうなりたいっていう夢に向かってずっと邁進して。大学に入ったらまわりは同じようなアーティスト志望の連中がいっぱいだから、夜な夜なアートの話ばっかりしてましたね」</br>
  <br />
  <br />
<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c03_ttl04.gif" width="285" height="43" alt="GOAって存在、DJ KUDOって存在は、オレの人生の中でYMOに続く第二のの衝撃" /></p>
<br />
<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column03_main2.jpg" /></span></p><br />
「実は大学2年の春休みを利用してタイ、インドに旅行に行ったんですよ。美術学科に先輩がいて、その人がインドから帰ってきておもしろい話をずっとするわけ。あー、オレも行きたいなあと思って。で、これも偶然なんですけど、最初カルカッタに着いて知り合った人が『GOAって知ってる？』って言ってきて」</br>
<h4>★はははは、いきなりGOAに結びついちゃうんだ？</h4>
「一回目からいきなりGOAなんですよ。オレ全然何にも知らないし何の予定も立ててなくて、とにかくインド行ってもう圧倒されまくり？　うわっ、いったいここ何なの？みたいな。もうワクワクワクワクしてるわけ。何もかも新鮮で。で、最初オレはリシケシとかバラナシとか聖地をまわってそういう勉強もしたかったんだけど、ところがどっこい、なんかパーティーみたいなのやってるすごいところがあるからって、カルカッタから電車に乗ってまずGOAに向かうことになって。鈍行列車で普通の車両にぎゅうぎゅう詰めになって、3〜4日かかったんじゃないかなあ」<br />
<h4>★いきなりGOAだったとは知らなかったなあ。</h4>
「そうなんですよ。で、辿り着いたら、何だここは!?、みたいな（笑）。パーティー行ったら、パンクの兄ちゃんはいるわヘビメタの兄ちゃんはいるわヒッピーの人たちはいるわ、とにかくいろんなかっこうした思い思いの人たちが踊ってるわけ。その頃からアシッドハウスみたいなのがかかってるんだけど、実はオレは全然ピンとこないわけよ、なんでインドで四つ打ちのピコピコサウンドなのか」<br />
<h4>★そうだったんだ。</h4>
「そのときはそんな感じで東京帰って大学3年になり、今度はアフリカ料理屋でバイト始めるんですけど、そこで初めて知り合った友達に渋谷のクラブですごいDJが回してるから一緒に行こうってことで連れてかれて。オレはディスコなんて興味ないとか言ってたんだけど、そしたらそこで回したのがDJ K.U.D.O（※現在ARTMAN名義で活動中）」<br />
<h4>★そうだったんだ。</h4>
「いまでも憶えてるよ。その時ってGOAで鳴ってたピコピコの音楽が頭にこびりついてて、探してもどこにもそんなレコードなくてさ。それなのにGOAで鳴ってたのと同じ音楽をものすごくいいサウンドシステムでかけてるわけよ。あ、これってGOAで聴いたのと同じじゃんって衝撃受けて。だからGOAって存在、DJ K.U.D.Oって存在は、オレの人生の中でYMOに続く第二の衝撃でしたね」<br />
<h4>★そこからツヨシくんもDJ始めたんだもんね。じゃあ、こうやって振り返ってみて、80年代ってツヨシくんにとってどういう時代だったと思う？</h4>
「うーん、僕の青春時代（笑）、自分のいまに至るための基盤とか基礎を形成してくれた時代かな。だから、あの80年代がなかったら、いまのオレはないよね。ていうくらい重要な時代ですね
<br />
<br />
<br />
<p align="left">■<strong>80’s お宝紹介</strong><br /><br />
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column03_otakara01.jpg" alt="" width="225" height="210" hspace="5" vspace="5" align="right" />
これはYMOの2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』（1979年）が出た後にリリースされた坂本龍一のソロアルバム『B-2 UNIT』（1980年）。当時まだ13歳とかで、たしか親にお金を借りてものすごく期待して買いに行ったんですよ。LPが2,800円でしたから、いまの輸入盤より全然高い（笑）。
で、さっそく買って家に帰ってワクワクしてレコードに針落としてみるんですけど、出てくるのは実験ノイズみたいな音ばっかり。「何だこれ!?　失敗したあ！」みたいな（笑）。お金はかかるし、わけわかんないし（笑）。ただ、5年後くらいに何かのきっかけで聴き直してみるんですよ。そしたら、すごい！、みたいな（笑）。そこではじめてこのレコードの価値がわかったっていう（笑）。中１の僕には難しかったみたいですが、結局はすりきれるまで聴き込んだアルバムですね。<br>
<br>
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column03_otakara02.jpg" alt="" width="225" height="240" hspace="5" vspace="5" align="left" />もう一枚はYMOの高橋幸宏とムーンライダースの鈴木慶一のユニット、ビートニクスの1stアルバム『EXITENTALISM〜出口主義〜』（1981年）。これは最初に聴いたときからすごかった（笑）。このアルバムジャケットもジャン・コクトーの映画『美女と野獣』のワンシーンをもじったもので、それを川崎の工場地帯で撮るっていう、その発想がすごい！大学生のとき芝浦インクスティック（というライブスペース）でバイトしてたんですけど、FUJI AV LIVEっていう音と映像を融合したシリーズイベントがあって、そこにビートニクスが出たんですよ！もう仕事そっちのけで脇からのぞき見してましたね。そしたらマネージャーに怒られちゃいましたけどね（笑）。」<br />
<br />
<br />
インタビュー：井村純平（TOKIO DROME/WISDOM)<br />
写真：松下茂樹<br />
</p>
<br style="clear:both;" />]]></description>
         <link>http://thepolice.jp/column/2007/02/post_7.html</link>
         <guid>http://thepolice.jp/column/2007/02/post_7.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">003</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 22 Feb 2007 10:50:31 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「80年代って大きな花火のように感じてる」</title>
         <description><![CDATA[<div class="spB30"><h1><img src="http://thepolice.jp/column/img/name_02.gif" width="275" height="39" alt="ブライアン・バートン・ルイス（タレント/パーソナリティ）" /></h1></div>
<div><h2><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c02_ttl01.gif" width="361" height="24" alt="『80年代って大きな花火のように感じてる』" /></h2></div>
<div class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c02_ttl02.gif" width="361" height="42" alt="振り返ってみるとちょうどいちばんおもしろい時期なんだよね、80年代が。子供から脱出する時代だから" /></div>

<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column02_main.jpg" /></span></p>

<h4>★まずブライアンの生年月日を教えて。</h4>
「1971年の10月9日」 <br />
<h4>★じゃあ、80年で10歳くらいか。この頃はどこにいたの？</h4>
「茨城県の筑波にいたね。途中で東京に引っ越してくるんだけど、振り返ってみるとちょうどいちばんおもしろい時期なんだよね、80年代が。子供から脱出する時代だから。80年代の最初はまだ外で遊び、表を走り回り、まだ子供のマイワールドで遊んでるんだけど、中学に入るくらいから音楽とかファッションとかに影響され出していって、自分の趣味趣向がどんどんいろんな方向へ走るじゃん？　さらに高校時代から二十歳までがオレの80’sだからさ、その影響はすごいよね」<br />
<h4>★ちなみに東京に移ったのはいつ頃？ </h4>
「13歳かな？　中学から学校の寮に入ったんだよね。いわゆるアメリカン・スクール」 <br />
<h4>★その頃、音楽で印象に残ってることは？ </h4>
「自分の中の音楽の波って80年代にはいろいろあったりするんだけど、すごい憶えてるのは、オレの家族って夏だけ毎年、長野県に行ってたのよ。国際村ってところがあって、日本中にいる外人の家族がそこにある別荘に夏だけ集結すんの。で、その別荘が300軒くらいあるわけ。だから夏に300世帯くらいいっぺんに集まるんだよね。そこには湖があって昔のボートハウスがあるんだけど、そこがティーンエイジャー用の遊び場として指定されてて、そこにはサウンドシステムがあって、レコードも何百枚もあって。それは毎年ティーンエイジャーが、たとえばホットドック・スタンドとか、昼間のそこでの活動で働いて稼いだお金を集めて大量に買ったレコードでさ。で、そのレコードをボートハウスで一夏みんなで聴くの。あと週に2回はダンスの日があって、夜、フルボリュームでかけてみんなで踊って騒いでっていうのがあるわけ。そこで音楽も悪さもすべて覚えるわけよ（笑）」<br />
<h4>★（笑）へえー、おもしろいね。 </h4>
「そんな中の毎年かかる大ヒットナンバーとして、ポリスはすごい記憶に残ってるよね。オレの中でポリスのいちばんのヒットは“ロクサーヌ”だね。それは強い思い出として残ってるな」</p>
<h4>★なるほどね。 </h4>
「で、そのボートハウスに行ってカセットテープにLPを録音するんだよ、毎年そこで買った新譜を。それを次の夏まで一年中聴くの（笑）。だからボートハウスに寝間着とか持ってって30〜40枚を一晩中録音するんだけど、そういう中でポリスとかよく録音してたのは記憶に残ってる」</p>
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<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c02_ttl03.gif" width="361" height="42" alt="それに直接反発した若き心がオレの場合、へヴィメタルだったの（笑）" /></p><br />
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<h4>★じゃあその国際村でいろんな音楽に目覚めていくんだね。 </h4>
「そうそう、だから中学に入ってからだね。80年代のクソポップみたいのが流行り始める頃に音楽に意識的になったのかな？」 <br />
<h4>★クソポップって？ </h4>
「たとえばカルチャー・クラブとか。ポップでキャッチーで、なんだこのボーイ・ジョージは!?　みたいな（笑）。あとお姉ちゃんの影響で、デュランデュランみたいなクソポップを聴かされて、もっとひどいので言うとREOスピードワゴンとかエアサプライ、シカゴ、ジャーニーとか、ほんとどーしようもない音楽がお姉ちゃんの部屋から聴こえてきて、それに直接反発した若き心がオレの場合、ヘヴィメタルだったの（笑）」<br />
<h4>★はははは、なるほど（笑）。</h4>
「まわりに対してクソー、こんなんでどうだ〜！みたいな自分の姿勢を示す音楽が、WASPとかクワイエット・ライオットみたいなモロにメタル（笑）。それが初めて自分が音楽に反抗期的に目覚めた音楽だったんだけど、オレが80'sミュージック全般的に詳しくてヒット曲もよく知ってるっていうのは、その夏の長野での生活が中心になってるからかな」 <br />
<h4>★そこに入れる年齢層は十代だけなんだ？</h4>
「下は13歳、上は18歳まで。それより上は卒業になっちゃうし、若すぎると入れて貰えない」<br />
<h4>★それはいろんなこと教えて貰えるよね。</h4>
「（笑）そうそう。まあ卒業する頃にはワルくなり過ぎて違うとこ行っちゃうんだけどね、みんな。でもそうやってピュアに遊べた時代もあってさ」</p>
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<p align="left"><img src="http://thepolice.jp/column/img/img_entry_c02_ttl04.gif" width="361" height="42" alt="グランジが生まれるのとまったく同じようなところに自分たちもいたね、いま考えると" /></p>
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<p align="left"><span class="spT40B30"><img src="http://thepolice.jp/column/img/column02_main2.jpg" /></span></p><br />
「寮も高校生の先輩までいっぱいいたからおもしろかったんだけど、当時遊びに原宿の駅前のテント村に行ってたな。『わー、この外人、日本語がうまいだけじゃなくてダッペだよ！』『茨城弁しゃべる外人がいる！』ってなって（笑）、けっこう話題になってたから（笑）。で、パンクに目覚めて。その頃ってハードコアなパンクの人たちと、ブルーハーツっぽいパンクの人たちがいてさ、オレは後者の楽しい方のパンクが好きで、トイドールズとかのハッピーパンクを通った時期があったんだよね」</p>
<h4>★ニューウェーヴ、テクノポップ、ニューロマンチックスとかには影響された？</h4>
<p align="left">「わかんなくはなかったんだけど、モンスターヒットが出てきてない分、印象に残ってないのかもしれない。スージー＆ザ・バンシーズとかキュアーとか好きなバンドもいたけど、マニアックにどっぷりはまる方じゃなかったから。オレの場合、短期型にそのシーンにはまってみたり服装もそうなってみたりっていうのが、いろいろあった感じだから。髪型とかニューウェイヴになった時代もあったからね（笑）。なんかちりちりで斜めな感じ（笑）」 <br />
<h4>★（笑）地元ではどんな感じで遊んでたの？ </h4>
「地元では貸しスタジオにたまって。楽器が何ができるわけでもないのにみんなで音出したり。ちょうどその頃って演奏もなんでもありっていう感じでオルタナティヴっていうか、グランジが生まれるのとまったく同じようなところに自分たちもいたね、いま考えると。ものすごいグランジだった」<br />
<h4>★それってどういう意味で？　</h4>
「だからほんと反抗期なエネルギーの爆発だけの音楽で、いわゆる楽器力とかテクニックがあるわけでもなく、ほんとフラストレーションを爆発させるための場の表現として音楽を追究していったっていう」<br />
<h4>★なるほどね。</h4>
「あと実は高校生の頃に重い病気にかかっちゃって、学校にも行けなくなっちゃって」<br />
<h4>★どれくらい？</h4>
「けっこう長いこと。高校2年のときに半年以上は入院生活送ってた」<br />
<h4>★そうだったんだ。</h4>
「そこで小山田圭吾（コーネリアス）に出会うんだよ。交通事故で入院してて隣の病室にいたんだけど。それで小山田圭吾はアコースティックギター持ってたから、そこで（ジミヘンの）“パープルヘイズ”とか（ディープパープルの）“スモーク・オン・ザ・ウォーター”の弾き方を教えてもらったりして（笑）」
<br /><h4>★へえー。</h4>
「で、高校3年になって、そのうち退院して学校に戻るんだけど、けっこう重い体験をしてたってこともあってあまり学校に戻る気がせず、そのまま学校からフェイドアウトしたと同時に、まだ若い17歳くらいだったんだけど仕事の話があって（笑）。小山田くんのいたレコード会社で仕事を始めちゃうんだよね」<br />
<h4>★なるほどね。じゃあ総括すると、そんないろんな展開があった80年代ってブライアンにとってどんな時代なんだろう？</h4>
「80年代ってポップっていうものが爆発してた気がするの。あちこちで過激なものがばっこんばっこん生まれてる感があった気がする。それはまだ70年代のムーヴメントから分散するワールドワイドな力が強かったのかもしれないし、実際メディアも発展してそういうことを可能にしたのかもしれないけど、オレはほんと80年代って大きな花火のように感じてる。ただ、ひとつひとつとってみたらたしかにダサかったりするんだけど--------なんだカルチャークラブかよ！とか、クワイエット・ライオットかよ！って（笑）」</p>
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<p align="left">■<strong>80’s お宝紹介</strong><br /><br />
<img src="http://thepolice.jp/column/img/column02_otakara.jpg" alt="" width="240" height="180" hspace="5" vspace="5" align="right" />これは80年代カルチャーに目覚める前の子供時代の名残ってことになるのかもしれないけど、大事にしてたおもちゃ。スター・ウォーズって70年代後半に大ブレークして、僕も8歳の頃からすごく好きで、毎年クリスマスとか誕生日にスター・ウォーズのフィギュアをもらえたり自分で買ったりして集めたんだけど、それが入ってるアタッシュケース。でも80年代の頭くらいには自分の中のおもちゃブームも去っていって、もうその存在すら忘れちゃってたのね。それをお母さんが大事に取っておいてくれて、で、10年くらい前に映画雑誌の取材でジョージ・ルーカスのインタビューの通訳に指名されて行ったことがあるんだけど、そしたらそれ聞いたお母さんがわざわざ取材するホテルまでそのアタッシュケース持ってきてくれたんだよ、急に。あんたこれにサインしてもらいなよって持ってきてくれて。それをジョージ・ルーカスに見せたら喜んでサインしてくれたんだよね。だからお宝なんですよ（笑）
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インタビュー：井村純平（TOKIO DROME/WISDOM)<br />
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<br style="clear:both;" />]]></description>
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         <pubDate>Thu, 15 Feb 2007 09:10:31 +0900</pubDate>
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